レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2024/03/09 13:19
- 更新日時
- 2024/04/01 10:41
- 管理番号
- 2023-002
- 質問
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解決
脇坂安董(わきざかやすただ)という人が老中だったとわかる資料はあるか。
- 回答
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脇坂安董(1768−1841)は、播磨竜野藩領主で、江戸時代後期の老中である。
このことを確認できる資料として、
① 『講談社日本人名大辞典』 講談社 、2001.12
②『国史大事典14巻 や〜わ』
③『藩史大辞典 第5巻近畿編』を案内した。
また、当館未所蔵であるたつの市(旧播磨竜野藩)が発行している「市史」の相互貸借先や、同市歴史文化資料館が発行・販売している脇坂家家系図が入手可能であることをあわせて案内した。
- 回答プロセス
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「江戸時代の人物」「老中」を調べられる参考図書、辞典類を調査し、以下の資料で脇坂安董についての記載を見つけた。
資料① 『講談社日本人名大辞典』 講談社 、2001.12
p2077 「明和5年6月5日生まれ。脇坂安親の次男。天明4年播磨(兵庫県)竜野藩主脇坂家8代となる。寛政3年寺社奉行となり,延命院日道事件,但馬出石藩の仙石騒動などの事件をさばいた。藩校敬楽館を設立。天保8年老中にすすむ。」
との記載があった。
資料②『国史大事典14巻 や〜わ』 吉川弘文館 、 1993.4
P759表「老中一覧」に脇坂安董の名があり、称号、前職、補職年月日、転免年月日、後職、城(領)地、石高などが紹介されている。
P876「脇坂安董」項に、人物についての詳細な紹介、また、参考文献として『(播磨竜野)脇坂家譜』『竜野市史 二』が紹介されている。
また、資料①②より、播磨国(兵庫県)竜野藩主であることがわかったので
資料③『藩史大辞典 第5巻近畿編』雄山閣 、2015.12を調べ、
P585~播磨国(兵庫県)龍野藩、龍野藩主一覧に、安董の藩主就任・退任年月日とともに、江戸幕府就任役職名・就任退任年月日の記載を見つけた。
資料②に紹介されていた参考文献のうち、『竜野市史』については、当館未所蔵資料だったため相互貸借先を探してご案内した。
出版元のたつの市ホームページ同市刊行物リスト(https://www.city.tatsuno.lg.jp/bunkazai/documents/maibunkankoubutur6.pdf)
を確認し、こちらでの書名は『龍野市史』となっていることを案内した。
また、たつの市ホームページをさらに検索したところ、たつの市立龍野歴史文化資料館に「脇坂家家系図」の領布があることがわかったので入手方法を案内した。
https://www.city.tatsuno.lg.jp/rekibun/documents/booklist202403.pdf
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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上田正昭[ほか]監修. 講談社日本人名大辞典. 講談社, 2001.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282270807172864 , ISBN 4062108496 -
国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第14巻 (やーわ). 吉川弘文館, 1993.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002273955 , ISBN 4-642-00514-5 -
木村礎 編 ; 藤野保 編 ; 村上直 編. 藩史大事典 第5巻. 雄山閣, 2002.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I30111100433096 , ISBN 4-639-10039-6
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上田正昭[ほか]監修. 講談社日本人名大辞典. 講談社, 2001.
- キーワード
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- 脇坂安董
- 老中
- 脇坂家
- 播磨国
- 龍野藩
- たつの市
- 仙石騒動
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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利用者ご自身で『文政武鑑 文政5-8年大名編』を調査したが老中に就いた記述はなかった。
同じく、『寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻』を確認、脇坂氏の記載はあったが安董までは載っていなかったとのこと。
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000347218