「竱迺 苗字」でグーグル検索し、利用者が見たと思われる以下のサイトの記述を確認した。
インターネット情報①「日本姓氏語源辞典」より
https://name-power.net/fn/%E7%AB%B1%E8%BF%BA.html(個人サイト)
※引用
センノ 【竱迺】
愛知県。事物。愛知県小牧市三ツ渕にある浄土真宗の専立寺の僧侶による明治新姓。寺号の専立を合わせた「竱」を使用。(2017年 10月 15日 更新)
上記に関する出典,参考資料などは記載されていなかった。
次に、当館所蔵の郷土資料①②から地名「三ツ渕」を検索し、明治以降の地名の推移を確認した。
資料1『小牧市史 本文編』小牧市史編集委員会/編 1977(AK261/コマ)
資料2『小牧の文化財第18集 小牧の地名Ⅰ』小牧市教育委員会 2001.3(AK709/コ/)P26-27
資料3『角川日本地名大辞典第23巻 愛知県』角川書店 1989(R291/カ/47-23)P1278
【資料1.2からわかる地名「三ツ渕」の推移】
記録に残る最古の表記は「三淵村」(『尾張国郷帳』1648)
その後明治13年まで「春日井郡三淵村」→「東春日井郡和多里村」→「小牧町和多里村」と移り、
昭和28年から現在までは「三ツ渕」
当館所蔵の郷土資料から上記地名の項目を調査し、以下の資料に「専立寺」の記述があった。
資料4『名古屋叢書続編1巻 寛文村々覚書(上)』名古屋市教育委員会/編 1964(A080/ナゴ/20-1)
P199「春日井郡 三淵村」
資料5『尾張徇行記 第3巻(春日井郡之部)』樋口好古/著 復刻版 1976.3(A240/ヒコ)
P366「小牧御代官支配所春日井郡中村邑目録四十一 三淵村」
※第1巻序文に「寛政四年(1792)四月 小牧代官支配所の徇行記一冊を著す」とある
資料6『愛知県精髄東春日井郡誌』 東春日井郡役所/著 2001.6(A261/ヒ)※大正12年7月発行『東春日井郡誌』の復刻版
P902「仏閣 専立寺」
資料7 『小牧町史』 津田応助/編著 1973.12 ※大正15年12月小牧町史編纂会発行の復刻版
P331「第一六章宗教第一節寺院及祠堂 専立寺」
同資料1『小牧市史 本文編』小牧市史編集委員会/編 1977(AK261/コマ)
P224「第二編歴史第四章地区誌第一節 小牧地区三ツ淵」
資料8『小牧の寺院』小牧市文化財資料研究員会/編集 2016.3(AK175/コ)
P30「一〇、潜龍山 専立寺(せんりゅうざん せんりゅうじ)」
このうち、宗派については資料1、4〜8のすべてに書かれていた。
創建年月については、資料4〜6は不明、資料1,7〜8は明応4年(1496)となっていた。
また、寺院縁起が最も詳しく書かれているのは資料7で、「創建は明應四年にして初め蓮如の法弟子玄正は~(略)~一草庵を結びカワラ堂と名づけ自ら開基開山となり〜(略)~爾来、慶圓、理玄、了存、真存、安休、祐階、祐然、恵憐、廓然、玉蘭、智城、義成の世代を重ね現代に至つた」と記されており、「義成」の名は認められた。
資料9『全国寺院名鑑』1930(国立国会図書館デジタルコレクションで確認)
「泉立寺(センリウジ)、(所在地)東春日井郡小牧町三ツ淵、(住職名)竱迺不敢」との記載があった。ただし、泉立寺という名の寺院が小牧市三ツ渕にあった記録はなく、専立寺の誤植かと思われる。
また、過去の電話帳を調査し、寺院名、代表者名を確認した所、以下の記載があった。
資料10『愛知県50音別電話帳 春日井地区版1982年版』に小牧市在住「竱迺」姓(僧侶)1件、
資料11『同電話帳 1997年版』、に小牧市在住「竱迺」姓(寺院)1件
資料12『同電話帳 1998年版』に小牧市在住「竱迺」姓(寺院)1件
なお、最新の
資料13『小牧市 電話帳ハローページ2020年版』には「竱迺」姓は記載されていなかった。
【そのほか調査済資料およびインターネット情報】
・データベース「ジャパンナレッジLib」
・データベース「中日新聞・東京新聞記事データベース」
『愛知百科事典』1976
『日本の苗字』1978,
『日本姓氏大辞典』1985,
『角川日本姓氏歴史人物大辞典23 愛知県』1991,
『難読稀姓辞典』2004,
『日本人物レファレンス事典 宗教篇<僧侶・神職・宗教家>』2019、