レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年4月29日
- 登録日時
- 2023/04/29 16:00
- 更新日時
- 2023/10/26 14:26
- 管理番号
- 郷土-1131
- 質問
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解決
ばらのシンボルマークについて,由来・時期・デザインをした人について知りたい
- 回答
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【ばらのシンボルマーク】
福山市は1945年(昭和20年)8月8日の空襲で市街地の約8割を焼失した。
戦後の復興が進められてきたなかで,1956年に御門町南公園(現在のばら公園)付近の住民から「戦災で荒廃した街に潤いを与え,人々の心に和らぎを取り戻そう」と声があがり,住民が公園の空き地にばらの苗1000本を植えつけた。
その後ばらのまちづくりは,福山市全体に広がっていった。
1985年(昭和60年)4月,ばらを市の花に制定。長年にわたり培われてきた市民のばらへの思いは市のシンボルとして位置づけられた。
このときから「ばら」と「バラ」,ひらがなとカタカナの混在する表記は,ひらがなの「ばら」に統一され,「バラ公園」も「ばら公園」と表記されるようになった。
1987年(昭和62年)のばら祭(20周年記念)で年次テーマに「めざそう、100万本のばらのまち」が取り上げられて以降,「100万本のばらのまち」は,ばらのまちづくりの合言葉となった。
市の花がばらであることをPRするために1992年(平成4年)から翌年3月まで,市内外からデザインを公募し,1,596人2,338点もの応募が北海道から沖縄,アメリカからもあった。
1993年(平成5年)4月に「ばらのシンボルマーク」が一度決定したが,受賞を辞退する申し出があったため再審査し,同年11月に発表,採用された。
色は赤,ピンク,緑の三色を使い,男性と女性,おとなと子どもが向かい合って,ばらを育み,支えあう姿を象徴し,全体としてばらの姿を表現している。
承認申請が必要だが,「ばらのまち福山」のPRになるものであれば,個人でも団体でも使用できる。
2016年(平成28年)5月21日,福山市は100万本のばらのまちとなった。
(参考資料)
・『福山市史』地理編 福山市 p.522-523
・『ふくやま90年のあゆみ』 福山市 p.37-38
・『ゆうちゃんとまほうのばら』 絵本「ゆうちゃんとまほうのばら~ばらのまち福山~」制作委員会 p.36-37
・「広報ふくやま」752号 1992年(平成4年)12月10日 p.6
・「広報ふくやま」760号 1993年(平成5年)4月10日 p.2
・「広報ふくやま」761号 1993年(平成5年)4月25日 p.3
・「広報ふくやま」763号 1993年(平成5年)6月10日 p.6
・「広報ふくやま」770号 1994年(平成6年)1月1日 p.12
・「朝日新聞」(全国の地域面 広島備後版) 1993年(平成5年)4月21日,1993年(平成5年)12月1日
- 回答プロセス
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福山市が出版している「ばら」に関する資料をあたる
当時の広報,新聞をあたる
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『福山市史』地理編.福山市,2010年.p.522-523 (当館請求記号K211フ,当館資料番号204132575)
- 『ふくやま 90年のあゆみ』.福山市,2006年.p.4,p.37-38 (当館請求記号H318フ,当館資料番号202121729)
- 『ゆうちゃんとまほうのばら』.絵本「ゆうちゃんとまほうのばら~ばらのまち福山~」制作委員会,2012年p.36-37 (当館請求記号K726ハ,当館資料番号204835334)
- キーワード
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- ばらのシンボルマーク
- 福山市
- ばらのまち
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000332607