レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年06月20日
- 登録日時
- 2022/11/20 18:23
- 更新日時
- 2023/10/26 14:34
- 管理番号
- 郷土-1053
- 質問
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解決
江戸時代,福山城下の木綿橋付近で取引されていたものが知りたい
- 回答
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木綿橋は「新橋」という名前で,船町と神島町(現在の船町)に架かっていた橋である。福山城の堀と福山湾を繋ぐ入江があり,その通路として架けられた。橋の名称は,かつて橋のそばで開かれていた木綿市に由来している。
次の資料に木綿橋についての記述あり。
・『広島県の地名』日本歴史地名大系35 平凡社 1982年 p.271「神島町」,273「船町」
・『ふるさと広島今昔散歩』 生田誠/著 フォト・パブリッシング 2021年 p.107
・『広島県史』近世1(通史3) 広島県 1981年 p.725「福山町の水道敷設図」,p.729
・『福山語伝記』古文書調査記録第三十四集 福山城博物館友の会 2016年 p. 115-120
・『福山市史』中巻 国書刊行会 1983年 p.229
・『今昔物語福山の歴史』上巻 村上正名/著 歴史図書社 1978年 p.112-114
この資料によると,木綿橋界隈(神島町)では,畳表や木綿が商売されていたようである。特に木綿は生産がさかんで,「「木綿橋」といわれた新橋のたもとで開かれた木綿市はまことに盛大なものであった」と記述あり。
また,『広島県の地名』p.271の「神島町」の欄に,「神島町に居を構えた紀伊国屋善右衛門の先祖は初め紀州にいたが神島村の市に来て,材木を商売,福山築城に伴い御用商人となり,神島町に屋敷を構え,材木・木綿問屋を営業したといわれる」や,p.272の「藺町」の欄に,神島市での畳表取引に関連して,当町で材料である藺草や荒苧も取引されていたという内容の記述もあり。
- 回答プロセス
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福山の城下町についての資料をあたる。
地名辞典や福山の歴史(江戸時代),産業について記述のある資料をあたる。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『広島県の地名』日本歴史地名大系35. 平凡社, 1982年. p. 271,273 (当館請求記号 H290ヒ, 当館資料番号 204837777)
- 『広島県史』近世1(通史3). 広島県, 1981年. p.723-725,729-730 (当館請求記号 H201ヒ8-3, 当館資料番号 204662613)
- 『福山語伝記』古文書調査記録第三十四集. 福山城博物館友の会, 2016年. p. 115-120 (当館請求記号 K215フ, 当館資料番号 205500994)
- 村上正名. 『今昔物語福山の歴史』上巻. 歴史図書社, 1978年. p. 112-114 (当館請求記号 K211ム1, 当館資料番号 204681415)
- 生田誠. 『ふるさと広島今昔散歩』. フォト・パブリッシング, 2021年. p. 107 (当館請求記号 K207イ, 当館資料番号 206319250)
- 『福山市史』 中巻. 国書刊行会, 1983年. p. 157-158,228-229 (当館請求記号 K211フ2, 当館資料番号 202121356)
- キーワード
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- 福山市ー船町
- 福山市ー神島町
- 木綿橋
- 新橋
- 木綿市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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次の資料は参考資料として見てもらった。
『おもしろふくやま史』 平井隆夫/著 福山城博物館友の会 p.246
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000324391