レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/05/01
- 登録日時
- 2015/03/25 00:30
- 更新日時
- 2015/05/17 10:13
- 管理番号
- 6000018221
- 質問
-
未解決
『信長公記』を書いたとされる太田牛一(おおたぎゅういち)の子孫が、麻田藩青木家の家来となり、その城内に住んでいたと聞いたことがある。それについて詳しくわかる本はあるか。石高や役職があるとなおよい。
- 回答
-
『新修池田市史』などによると、摂津麻田藩には太田牛一の子孫が仕えていた。また太田姓の家臣の屋敷が麻田陣屋内にあったが、この屋敷に住んでいたのが太田牛一の子孫であるかを明記した資料は発見できなかった。
なお後日出版された『麻田藩と備中領口組』に、麻田藩主菩提寺であった池田市の仏日寺・麻田藩家老墓苑に、太田牛一と子孫の墓があることが載っていた。
- 回答プロセス
-
郷土資料の書架を探す。
『新修豊中市史 通史1』(豊中市)には太田牛一の名はない。p556「明暦3年(1657)の麻田藩給人」には大田姓は見えるが、太田はない。p559-562「幕末期の麻田藩家臣団」には、万延元年(1860)の「御家中格禄附控帳」・文久3年(1863)の「御家臣団格序附」からの名があり、太田姓も見受けられる。p568-570「麻田藩陣屋」には麻田藩の陣屋について、藩主の居館や藩の諸施設・家臣団の屋敷が集中していたとある。p569に近世後期・明治初期の陣屋絵図があり、近世後期の絵図には太田邸の名が見えるが、明治初期の絵図には太田の名はない。
このほか、『摂津麻田陣屋』(日本古城友の会)、『麻田藩陣屋跡』(大阪府文化財センター)を調べるが、それぞれ麻田藩の陣屋について詳しく、『麻田藩陣屋跡』には江戸時代後期(上記の近世後期)の陣屋絵図のカラー写真が大きくあるものの、やはり家臣太田氏に関する詳しい言及はない。
また麻田藩について読みやすくまとまっている『お殿様の「お勝手」事情 北摂麻田藩の財政再建』(池田市立歴史民俗資料館)にも、麻田藩の家臣についての詳しい記載はない。
太田牛一について『日本近世人名辞典』(吉川弘文館)を調べる。p158に項目があり、織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀頼に仕え、やがて引退して大坂玉造に住んだとのこと。嫡子牛次も秀吉直属軍七手組の青木一重の組下に属したと記載がある。
『新修豊中市史 第1巻』p540「草創期の麻田藩と青木氏 麻田藩初代藩主青木一重」には、一重は秀吉の馬廻りである七組(七手組)の番頭(ばんがしら)となったとの記載があるが、七組はいわば秀吉親衛隊で、一重はそのうちの一隊を率いる隊長にあたり、一重の組は一重を含めて27人の豊臣家家臣によって構成されていた、とあり、太田牛次がどのような立場であったかは不明。
『新修池田市史 第2巻 近世編』(池田市)p91-92「(摂津麻田藩青木家の)家臣団の形成」によると、二代藩主重兼までに豊臣家御馬廻組時代の配下、太田牛一の子又兵衛に始まる太田家などが家臣となったとのこと。明暦3年(1657)の「給人物成割符帳」に太田又兵衛(物成高63石・知行高180石)があり、備考には「一重組下太田又七子」とある。『新修豊中市史 第1巻』p556の表と出典は同じだが、『新修豊中市史』にはこの記載はなかった。またp97-98には文久3年(1863)の「御家臣格序附」には太田泉太郎(知行高80石)の名があり御用人とあるが、又兵衛の子孫かどうかは不明。
『新修豊中市史 第5巻 古文書・古記録』(豊中市)p307-308「麻田藩家臣団家格・禄高控帳」にも太田泉太郎の名があり、御用人格・大目付兼とあるが、個々の家計については言及なし。
『小藩大名の家臣団と陣屋町』(クレス出版)p118-130には麻田藩の摂津麻田陣屋について記載があるが、家臣の詳細には触れていない。
Googleで検索すると、「NHK歴史秘話ヒストリア「あなたの知らない信長の素顔 ~英雄の記録者 太田牛一の生涯~」http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/187.html で太田牛一が取上げられていたことが判明。参考文献で当館未所蔵のものを大阪府立図書館から取り寄せ、内容を確認する。
『織田信長という歴史 「信長記」の彼方へ』(勉誠出版)p124-128に、牛一の子の又七郎牛次は、青木一重のもとで近江高島郡(現在の滋賀県)に領地を給され、大坂夏の陣に参戦した後、いったん藤堂高虎に仕え、その後再度青木家に仕えたなどの記載があり(摂津太田家)。この摂津太田家に伝来した写本は「太田家本」と呼ばれ、p279-292に詳しい解説がある。しかし、摂津太田家の屋敷がどこにあったかは書かれていない。
『信長公記を読む』(吉川弘文館)p62-63の表「信長公記の諸本」によると、青木家に仕えた太田家子孫に伝来した「信長記」は、大阪歴史博物館に寄託されているとのこと。
なお、2014年10月に出版された『麻田藩と備中領口組』(里庄の歴史を語る会)によると、麻田藩主菩提寺であった池田市の仏日寺・麻田藩家老墓苑に、太田牛一と子孫の墓があるとのこと。カラー写真も載っているほか、NHKヒストリアの上記番組への言及もある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
-
- 『豊中市蛍池中町所在麻田藩陣屋跡』(大阪府文化財センター)
- 『日本近世人名辞典』竹内 誠/編(吉川弘文館)
- 『新修豊中市史』第1巻豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『お殿様の「御勝手」事情』池田市立歴史民俗資料館/編集(池田市立歴史民俗資料館)
- 『摂津麻田陣屋』上田 一/著(日本古城友の会)
- 『麻田藩と備中領口組』里庄の歴史を語る会/[編集](里庄の歴史を語る会)
- キーワード
-
- 麻田藩(アサダハン)
- 豊中(トヨナカ)
- 歴史(レキシ)
- 太田牛一(オオタギュウイチ)
- 青木一重(アオキ カズシゲ)
- 江戸時代(エドジダイ)
- 麻田陣屋(アサダジンヤ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
上記のほか、太田牛一について記載があるが、子孫の詳細についてはふれていなかった資料は以下。
『信長の戦争 「信長公記」に見る戦国軍事学』(講談社)
『織田信長 「信長公記」紀行』(勉誠出版)
『もう一つの戦国時代 徳川家康をペンで倒した戦国の名将・太田牛一、四百四十年間の戦い 上・下』(講談社出版サービスセンター)
『戦国十冊の名著』(勉誠出版)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土,人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000169799