レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年09月01日
- 登録日時
- 2023/10/27 10:50
- 更新日時
- 2023/11/21 10:55
- 管理番号
- 遠野-2010-05
- 質問
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解決
遠野は昔製糸業が盛んだったようだが、盛んになったきっかけなど遠野の製糸業の歴史が書かれた資料が見たい。
- 回答
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『遠野市史 第3巻』(遠野市史編修委員会,万葉堂書店,1976)p570~p572に製糸事業の創始という項があり、遠野における製糸事業の歴史について書かれている。
『山奈宗真 遠野の生んだ先覚者』のp90~p109に遠野製糸場開設の項があり、山奈宗真が製糸工場を大きくしていくが、中傷や流言によってその後、工場がわずか数年で衰退していく内容が書かれている。
- 回答プロセス
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<所蔵資料からの調査>
『遠野市史 第3巻』(遠野市史編修委員会,万葉堂書店,1976)p570~p572に製糸事業の創始という項があり、その中に
「元来、遠野製糸工場を最初に企画・実施したのは、下閉伊郡川井村の沢田助太郎であった。沢田の夫人は、遠野諸士の遊田研吉の妹であったから、早くから遠野に出入りしていた。(中略)明治十二年に西閉伊郡役所が新築されて庁舎が信成堂から移転したのを機に、沢田は信成堂の建て物を官から払い下げを受けて製糸工場にした。一方、遠野の元町裏の畑地を買い占めて数百本のクワの木を植え付け、大規模に養蚕を行なおうとした。だがこれも種々の事情から思うように進まず、果ては放棄同様の状況であったものを、山奈宗真が引き継いで新しい製糸工場にしたものであった。』
とあり、川井村の沢田助太郎が始めた製糸工場が放棄されたあと、山奈宗真が引き継いだことがわかる。
山奈宗真が引き継いだ製糸工場の様子については、同じく『遠野市史第三巻』の製糸事業の創始の項のなかに
「製糸工場のすべり出しはすこぶるよく、明治十九年には工場が狭くなったので、新たに坂ノ下に増築し、女工も六十人を増員するようになった。そして同二十二年(一八八九)ころには、女工が二百人も働くほどに発展した。だが、事業がこう発展すると邪魔がはいるもので、これを横取りしようとする策謀や嫉妬半分に発展を中傷する者が出るもので、遠野でもその時同様の現象が出て、この発展した製糸工場を宗真から取り上げて、町有事業にしようと町会に提案したり、出資者の集会で宗真の経営を批判して弾劾したり、いろいろと中傷の流言を放って事業の邪魔をしたりしたので、いつの間にか事業の方も振るわなくなり、女工も一人去り二人去りして、この事業も消えるように廃止されてしまった。」
とある。
『山奈宗真 遠野の生んだ先覚者』のp90~p109に遠野製糸場開設の項があり、山奈宗真が養蚕、製糸工場で行った内容が書かれている。その中のp108に、山奈宗真が製糸工場について総括した内容が書かれている。
「一、遠野製糸場十八年創立以来困難せしも。素より利益的に関せしにあらず工女養成せん為。故に創立明治廿三年迄六ヶ年間に工女三百六十四名養成。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 蚕糸業 (630 8版)
- 東北地方 (212 8版)
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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編修: 遠野市史編集委員会 , 遠野市. 遠野市史 第3巻. 万葉堂書店, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001229744-00 -
田面木貞夫 編・著 , 田面木, 貞夫. 山奈宗真 : 遠野の生んだ先覚者. 遠野市教育文化振興財団, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001848332-00
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編修: 遠野市史編集委員会 , 遠野市. 遠野市史 第3巻. 万葉堂書店, 1976.
- キーワード
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- 山奈, 宗真, 1847-1909
- 蚕業
- 製糸業--遠野市--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000340227