レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年01月12日
- 登録日時
- 2023/02/06 15:17
- 更新日時
- 2023/12/22 16:38
- 管理番号
- 塩尻707
- 質問
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解決
塩尻宿の飯盛り女について何か資料はないか。
- 回答
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「飯盛り女」はもとは旅籠屋などにいた遊女。
塩尻の飯盛り女については【資料1】~【資料3】に記述があり、こちらを紹介した。
- 回答プロセス
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『塩尻市誌 別冊』の索引から「飯盛り女」をひいたところ、「飯盛」の語で第3巻p266に記載あり。
【資料1】を確認したところ、第2編 社会・生活 第2章 村制度と地域社会の変貌 3 塩尻遊郭の成立 の項に「藩政時代から、中山道の宿場であった本山・洗馬・塩尻宿には旅籠屋や茶屋に飯売・飯盛と呼ばれる遊女がいた。」との記述があった。
この記述の参考文献として【資料2】が挙げられていたため確認したところ、第2編 歴史篇 第6章 江戸時代 第5節 塩尻宿 第4項 宿の繁栄と各種の取締 p473~に飯盛の記述がある。「旅籠屋及茶屋には飯賣(飯盛)と稱する遊女が居て、宿は非常な繁栄を極めたものである。」「此の飯賣女は古くから内々は有ったやうであるが、其の公許は天明三年である。其の數には時に消長があつて、文久年代の如きは雇婦二百三十一人を數へ、當地方三宿中の主位に居た。」と説明されている。
【資料1】で遊郭に関する項目に説明があったため、遊郭関係の資料を確認したところ、【資料3】p79に塩尻遊郭の項目があり、飯盛り女についての記述があった。「『塩尻町誌』によると1868年(明治元年)6月、深刻な資金不足に直面していた松本藩が1軒につき50両納めるという条件で遊女屋の開業を許可、飯盛り女を遊女として公認とした。40軒の遊女屋が開業したという。」と説明がある。同様の記述は、【資料2】においては 第4編 現勢篇 第7章 花柳及演芸 p771に見られる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 社会.家庭生活の習俗 (384 9版)
- 参考資料
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会/編 , 塩尻市誌編纂委員会. 塩尻市誌 : 近代・現代 第3巻. 塩尻市, 1992-12.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059086888-00 -
【資料2】大森利球治, 三沢勝衛 共著 , 大森, 利球治 , 三沢, 勝衛, 1885-1937. 塩尻町誌. 明治文献, 1974. (日本郡誌史料集成 ; 中部地方)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001217969-00 -
【資料3】下川耿史, 林宏樹 著 , 下川, 耿史, 1942- , 林, 宏樹, 1938-. 遊郭をみる. 筑摩書房, 2010.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010825209-00 , ISBN 9784480873637
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会/編 , 塩尻市誌編纂委員会. 塩尻市誌 : 近代・現代 第3巻. 塩尻市, 1992-12.
- キーワード
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- 飯盛
- 飯売
- 遊郭
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328650