レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/04/17
- 登録日時
- 2012/06/16 02:00
- 更新日時
- 2012/07/13 15:54
- 管理番号
- 6000007663
- 質問
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未解決
江戸時代に浪人の間で大名から金品をせびり取る狂言切腹ということが流行り、彦根藩がそれに対して竹光で切腹させるという過酷な対応をしたことで流行が止んだということを聞いたが、それは史実なのか知りたい。
- 回答
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滝口康彦著「異聞浪人記」という小説が問い合わせ内容と同様のエピソードをまじえた展開で、「切腹」「一命」というタイトルで2度映画化されている。『異聞浪人記』によると、『明良洪範』(眞田增譽)にモチーフとなった話が収録されているとのこと。
下記の関連資料をご紹介した。
- 回答プロセス
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『切腹』という映画のストーリーと同内容だったのでgoogleで検索すると、原作が滝口康彦『異聞浪人記』ということがわかった。講談社文庫版『一命』に所収のそれをみると「狂言切腹が流行り風邪のように、浪人たちの間を風靡していく」(p13)なか、千々岩求女という浪人が井伊直孝の江戸屋敷に現れ、同じ振る舞いをしたので、井伊家家老の斎藤勘解由の処断で竹光により自害させられたというエピソードがあった。
同書の解説(末國善己)には『滝口康彦傑作選』(立風書房)に「作品ノート」が収録されていることが紹介してあった。
「作品ノート あとがきにかえて」で滝口康彦は、「『明良洪範』中にある二百二十字程度の記述にヒントを得た。彦根井伊家の江戸屋敷での話で、原典では井伊直澄の代だが、小説では、大名取潰しの一典型といえる福島正則の改易と結びつけるため、直澄の父直孝の代に変えている」(第壱巻p265)と述べている。
大阪府立図書館から取寄せた『明良洪範』(国書刊行会)の巻之十二にある「浪人の合力の事」(編者が便宜上置いた題)という挿話と内容が近い。「其頃ハ浪人甚だ多くして諸侯方ヘまで合力を乞に出たり 或日井伊掃部頭直澄居屋敷へ浪士一人来りて永々浪人致し既に渇命に及び候間だ切腹仕度候 介錯の士を仰付られ下さるべしと云 直澄聞れて其武士は吾家に抱へられ度き望みか或は大分の合力でも受たき望か内心に在んなれど左様は言はずしてわざと切腹致たくと言ふならん 其言ふ所に任せ切腹さすべしと云 是に因て食事をさせ切腹致させけるあとで直澄後悔しけると也 又神田橋御殿へ浪人推参し飢に及び候間だ御合力下さるべし 左様なくば御門内を汚し申さんと云 此時詰居たる者は大久保新蔵伊那傳兵衛など名高きしれ者ばかり詰居たれば幸ひ也 新身刀のためしにこやつを切て見んなど云けるを其浪人もれ聞て忽ち迯去しと也 是より諸侯方へ浪人の推参する事止みけると也」
『明良洪範』の記述の史実か否かの評価については、『明良洪範』(国書刊行会)の「例言」、『武士道全書』第八巻「解説」、『増訂國書解題』(臨川書店)、『国史文献解説』(朝倉書店)をみたが、見当たらなかった。関連資料を紹介して回答とした。
(著者自身の言葉として『明良洪範続篇』のさいごに「此書は慶長年中以来より諸記等に洩る所の實談等の見聞を集めて諸輩に知らしめん為に前後四十巻として爰に記録せり」という記述あり。『武士道全書』第八巻「解説」によると、慶長・元和年間~徳川綱吉治世初期頃のエピソードが集められている。)
*著者の文章から『明良洪範』にたどり着いたが、『日本随筆大成』や彦根藩の事跡を記したものなど江戸期の資料をひろくあたれば他にも同種の話がある可能性があるということを言い添えて、調査終了とした。
- 事前調査事項
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『江戸逸話事典』(新人物往来社)『日本逸話大事典』(東方出版)『日本奇談逸話伝説大事典』(勉誠社)で調べたが、該当しそうな事例が見つからなかった。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『一命』滝口 康彦/著 (講談社)
- 『滝口康彦傑作選』1 滝口 康彦/著 (立風書房)
- キーワード
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- 狂言切腹
- 武士道
- 彦根藩
- 井伊
- 切腹
- 一命
- 歴史
- 江戸時代
- 悲劇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 志村有弘編『江戸の都市伝説 怪談奇談集』(河出書房新社)p112「浪人切腹」という話しは水戸徳川家の屋敷に浪人が仕官の申し出に訪れ、白銀30枚を与えて仕官を断わったところ、玄関で切腹して果てた。それを聞いた殿様がその人物を取立てなかったことを悔やんだ、という話。『新著聞集』第十六清直篇からの収録。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000107313