レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 1997年05月22日
- 登録日時
- 2017/04/28 11:24
- 更新日時
- 2017/10/27 15:09
- 管理番号
- 四万十市-1997-005
- 質問
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解決
一条房基の死因
一条兼定とお雪について
- 回答
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①一条房基の死因→天文18年(1549)4月12日28歳で自殺。狂気のためと伝えられている。
②一条兼定の最初の妻(伊予 宇都宮氏)との婚姻の年→永禄元年3年
一条兼定の最初の妻(伊予 宇都宮氏)との離別の年→永禄7年
内政以外の子の有無→1男1女有り
その、子の名前→不明
③一条兼定の二番目の妻(大友氏)との婚姻の年→永禄7年
子の有無→幾人有り。男児。女児は後年江戸城大奥に入って按察使局と呼ばれ、旗本・高島主水頭兼政に嫁ぐ。(「寛政重修諸家譜」)
④お雪と兼定の出会い等にまつわる話→鷹狩に訪れた寺尾(宿毛市平田町寺尾)にて、百姓源右衛門の家に立ち寄り茶を求めた際、娘お雪を見初めて一首の歌を詠んで手渡した。「汲みてこそ水はやさしきものと知る 流れの末に逢はんとぞ思ふ」読み終わったお雪は「谷川の水はやさしきものなるに 君が情けをくみて知らるる」の返歌を差し上げたと云う。その夜の酒席でもお雪の酌を受け深く惹かれ合った二人は、その後も恋の虜となり、鷹狩に行く口実をつけては平田村に出かけ源右衛門宅に泊まった。それが毎日の事となり、お雪のため屋敷が建てられると人々はこれを平田御殿と称したという。昼夜問わずの宴に兼定の家老土居宗算は諫めたが捨て鉢の返答ばかり。宗算この後改めて諫言を迫ったが兼定は手討ちにしてしまった。 その事件を機に三人の家老たちがクーデターを起こし、主君兼定を村御所に閉じ込めて嫡子内政を擁立した。 このことを知ったお雪は入水してしまう。幽閉されていた兼定は嘆き、「あかざりし人の眉根にたくへても 名残ぞ惜しき三日月の影」と一首残した。
お雪の没年→不明
入水の地の碑のある場所→宿毛市平田藤林寺の川淵。現在は耕地整理されて水田に供養塔がある。
お雪がキリシタンと親交があったかどうか→不明
⑤兼定の時代の中村の地図があればその写し
家臣の屋敷が明示されているもの
⑥一条兼定が豊後から矢地回復の戦をしたとき大友氏の援軍の規模→不明
武将の名前がわかれば何人かわかれば何人かピックアップ→不明
⑦一条兼定が宣教師バリヤーノ(パードレ・ヴァリアーニ)と会った年→大正9年(1581)
出会った場所→宿毛辺り
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 神道 (17 9版)
- 参考資料
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- 高知市民図書館. 高知県人名事典. 1971. p.24 p.26 (当館請求記号 K280.3/KO, 当館資料番号 321347635)
- 土佐物語
- 宿毛市編纂委員会. 宿毛市史. p. 136 (当館請求記号 K218.4/スク, 当館資料番号 321346447)
- 秋澤繁ほか編. 土佐国史料集成 南路志 1. 1990. p. 130 (当館請求記号 K218.4/ト, 当館資料番号 321346587)
- 高知新聞社. 高知県人名事典 新版. p. 54 p.55 (当館請求記号 K281.8/コ, 当館資料番号 321312951)
- キーワード
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- 一条
- 一条兼定
- 一条房基
- キリシタン
- 雪
- バリヤーノ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215445