レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024年02月25日
- 登録日時
- 2024/02/28 15:13
- 更新日時
- 2024/03/24 16:48
- 管理番号
- K0012
- 質問
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解決
埼玉県狭山市入間八幡神社の彫刻の作者:上野国勢多郡深沢郷上神梅村の鏑木半二邦高について知りたい。鏑木半次・半治郎等と同一人物か?
- 回答
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◆鏑木半二邦高について
『黒保根村誌 本編1』黒保根村誌編纂室/編
黒保根村(勢多郡) 1997
P.543~544に、埼玉県入間市 入間八幡宮の彫刻の作者として、上野国勢多郡深沢郷上神梅村 鏑木半二邦高彫之 と墨書があると記載があることを、『狭山の散歩道』に、地元の郷土史家広沢謙一氏が載せている。との記述がありました。
また、P.511 図4 石原吟八郎の系譜(松本十徳氏作成-読売新聞掲載)に、関口文治の弟子として鏑木半二と記載がありました。
◆鏑木半次・半治郎等と同一人物か?
『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』
阿部 修治∥著 さいたま さきたま出版会 2011.8
P.102の、石原系彫物師で単独で採り上げなかった、その他主な彫師の足跡の表に、
鏑木半治郎 とあり、足跡の欄に、
(1760)栗生太郎神社・(1789)桐生天満宮・(1790)栗生神社本殿・(1796)八幡宮・(1802)狭山八幡神社本殿
と記載があります。
今回調査した当館所蔵の資料において、鏑木半治郎と狭山八幡神社本殿を直接結び付けていたのは、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』のみでしたが、
関口文治の弟子として、鏑木半二と記載がある資料は複数冊あり、
関口文治の弟子として、鏑木半治郎と記載がある資料も複数冊ありました。
一方で、鏑木半二と、鏑木半治郎等の名前が一覧表などに並列で表記されている資料(鏑木半二と、鏑木半治郎等が別の人物であるような表記の資料)は、ありませんでした。
また、当館所蔵の中で最新の群馬県の報告書である、
『群馬県近世寺社総合調査報告書 歴史的建造物を中心に 本編』
群馬県地域創生部文化財保護課/編
前橋 群馬県地域創生部文化財保護課 2022.3
P.96 表6居住地別の工匠(2)彫物師 には、
鏑木伴次(鏑木半治郎):関口文治郎の門人
と、記載されています。
以上のことから、
鏑木半治郎=鏑木半治=鏑木伴次=鏑木半次=鏑木半次郎=鏑木半二=鏑木半二邦高
と推察されます。
◆鏑木半次・半治郎等について
『勢多郡東村誌 通史編』 勢多郡東村誌編纂室/編
東村(勢多郡) 勢多郡東村 1998
P.453に、勢多郡上田沢村の彫刻師 関口文治郎(花輪村の彫刻師石原吟八郎の弟子)の門人として、鏑木半治郎(上神梅の人)と記載があります。
『群馬の社寺彫刻 東上州の彫刻師』 小林 一好∥著
前橋 みやま文庫 1999.6
には、彫刻年表に、
P.26黒保根村の栗生太郎神社 鏑木半次
P.31黒保根村の栗生神社本殿 鏑木半次
P.31桐生市の天満宮本殿 鏑木半治郎
P.32箕郷町の八幡宮 鏑木半治郎
P.33埼玉県狭山市の八幡神社本殿 鏑木半二邦高
と記載があります。
- 回答プロセス
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『勢多郡東村誌 通史編』『大間々町誌 通史編 上巻』『大間々町誌 通史編 下巻』『大間々町の民俗』『勢多郡東村の民俗』等を調べたところ、『勢多郡東村誌 通史編』に勢多郡上田沢村の彫刻師 関口文治郎(花輪村の彫刻師石原吟八郎の弟子)の門人として、鏑木半治郎(上神梅の人)と記載があり、群馬郡箕郷町西明屋の八幡神社の彫刻をした記録のなかにも、神梅 鏑木半治郎と記載がありましたが、狭山八幡神社や鏑木半二邦高について記載は無かったので、『黒保根村誌 本編1』を調べると、P.543~544に、埼玉県入間市 入間八幡宮の彫刻の作者として、上野国勢多郡深沢郷上神梅村 鏑木半二邦高彫之 と墨書があると記載があることを、『狭山の散歩道』に、地元の郷土史家広沢謙一氏が載せている。との記述がありました。また、P.511 図4 石原吟八郎の系譜(松本十徳氏作成-読売新聞掲載)に、関口文治の弟子として鏑木半二と記載がありました。P540には鏑木半治郎=鏑木半治との記載もありましたが、半二については言及されていませんでした。石原吟八郎の系譜の作成者:松本十徳氏の写真集(論文あり)や雑誌に掲載された論文等(他館所蔵資料)も調べましたが、その他の記載は無く、『群馬の社寺彫刻 東上州の彫刻師』や『寺社の装飾彫刻 関東編上』にも、埼玉県狭山市の八幡神社本殿の彫師として 鏑木半二邦高の名は記載があるものの、鏑木半治郎と同一人物かどうかについては触れておらず、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』を調べたところ、鏑木半治郎の足跡として、(1802)狭山八幡神社本殿との記載がありました。この資料のみですが、鏑木半治郎と狭山八幡神社がつながったことと、上記のような理由により、鏑木半治郎=鏑木半治=鏑木伴次=鏑木半次=鏑木半次郎=鏑木半二=鏑木半二邦高
と推察しました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 彫刻史.各国の彫刻 (712)
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
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『勢多郡東村誌 通史編』 勢多郡東村誌編纂室/編
東村(勢多郡) 勢多郡東村 1998 -
『黒保根村誌 本編1』 黒保根村誌編纂室/編
黒保根村(勢多郡) 1997 - 『群馬歴史散歩 177号 特集:黒保根村』 群馬歴史散歩の会/発行 2003
-
『群馬の社寺彫刻 東上州の彫刻師』 小林 一好∥著
前橋 みやま文庫 1999.6 -
『寺社の装飾彫刻 関東編上』
若林 純∥撮影・構成 東京 日貿出版社 2012.12 -
『大工彫刻 社寺装飾のフォークロア』
東京 Inax 1990 -
『群馬県近世寺社総合調査報告書 歴史的建造物を中心に 本編』
群馬県地域創生部文化財保護課/編
前橋 群馬県地域創生部文化財保護課 2022.3 -
『黒保根村誌 別巻3』
黒保根村誌編さん室/編 黒保根村(勢多郡) 黒保根村誌 1988
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『勢多郡東村誌 通史編』 勢多郡東村誌編纂室/編
- キーワード
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- 鏑木半治郎
- 鏑木半次
- 鏑木半二
- 彫刻師
- 彫物師
- 関口文治郎
- 栗生神社
- 桐生天満宮
- 狭山八幡神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346677