レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2024/03/18 15:32
- 更新日時
- 2024/04/08 14:29
- 管理番号
- 2406
- 質問
-
解決
姫小川街の浅間神社の綾姫伝説にまつわる情報を集めている。
(1)綾姫のたどり着いた港の場所を知りたい(萱口の港)
(2)紀元前540年頃の海がどのくらいの場所にあったか?
堀内貝塚、縄文後期の海岸線とかなり離れているが、時代が合っているのか?
(3)『姫小川村村誌』は本当に本としてあるのか
(4)姫下遺構の年代は?分かっていれば知りたい
- 回答
-
下記の資料を提供
(1)彩姫の辿りついた場所(萱口の港)
下記の資料を参考に現在の地図にて大体の場所を推測して示す
『愛知県道路地図 県別マップル23』(291.5/ショ/T)p91~92
『 姫小川の由来』(A234.5/ノム/A)
『親子桜井めぐり』(A234.5/サク/A)
『日本歴史地名大系 23』(291.0/ヘイ/T)
『東海の自然をたずねて』(A450/トウ/)
『図説愛知県の歴史 23』(A20/150/)
【参考資料】
『安城市文化財図録〔昭和58年〕』(A709/アン/A)
〇インターネット
「安城生涯学習まちづくり企画人」姫塚古墳
(2)紀元前540年頃の海岸線について
下記の資料に記載あり
『新編安城市史1 通史編 原始・古代・中世』(A234.5/アン/A)
p12~p14に縄文時代の前期推定海岸線の載った地図あり
『図説 愛知県の歴史』(A20/150/)
p2 “愛知県の地勢”縄文海進高潮頂期(今から6000-5000年前)の海外線を示す
カラーの地図あり
『東海の自然をたずねて』(A450/トウ/)
p4~5 “約14万年前の東海地方”の図あり
『東海の貝塚』(A069/アン/A)
p53~西三河地方の貝塚と貝の種類の図:縄文時代の海外線を示す点線あり
『安城市文化財図録〔昭和58年〕』(A709/アン/A)
『安城市史 本文編』(A234.5/アン/A)
『小川の歴史をさぐる』(A234.5/オガ/A)
『桜井村史』(A234.5/モク/A)
〇堀内貝塚、縄文後期の海岸線とかなり離れているが、時代が合っているのか?
『安城市史 本文編』(A234.5/アン/A)
p56 L12~
当時の海外線は岡崎平野では西尾市の南東部以南と考えられるのである・・それは堀内から6~8㎞も離れた地点である。…(中略)…およそ縄文時代人は健脚をもっていたのであり、定住に近い生活をするといいながらも日々の行動範囲はかなり広がったのである。」
(3)『姫小川村村誌』について
・『安城市史』(資料編)(A234.5/アン/A)に『姫小川村村誌』全文あり
【参考】
『桜井古墳群保存管理計画書』(215.5/ア/)
→歴博所蔵「第3章 桜井古墳群及び周辺の概要」(PDF)
(4)姫下遺構の年代の分かる資料
『姫下遺跡 大畑遺跡 長先遺跡』(A234.5/アン/A)
『史跡 姫小川古墳』(A234.5/アン/A)
『姫下遺跡』(A234.5/アイ/A)
- 回答プロセス
-
(1)萱口の港の場所
①『姫小川の由来』(A234.5/ノム/A)
p4「姫号地名鑑」L3~「またこの萱(かや)口(ぐち)港は国府(こくふ)のある宝飯の港まで海伝いに行けました。
東の方の土呂(とろ)の里までは二里ばかりです。」
一里=約4㎞
・文中にある土呂=現在の岡崎市福岡町
②インターネット「安城生涯学習まちづくり企画人」のサイト
「姫塚古墳」より→「村の名前を「萱(かや)口(ぐち)」から「姫郷小川村(ひめのさとおがわむら)」と改めたのです」とあり
③②の内容の載っている資料を探す
『親子桜井めぐり』(A234.5/サク/A)
p68~≪綾姫伝説》
地名の由来として“「萱(かや)口(ぐち)」を「姫郷小川村」と地名をかえたといいます”とあり
④『日本歴史地名大系23 愛知県の地名』(291.0/ヘイ/T)
p622 l4~「小川村」…“村名の由来は、もと(萱(すが)口(ぐち))とよんだが、この地に永住…「姫(ひめ)郷(ごう)小川村(おがわむら)」に改めたという伝承がある(三州姫之郷地名鑑、姫小川地誌)
沖積平野に臨む大地の縁辺に、姫塚古墳・姫小川古墳・獅子塚古墳などがある。”とあり
※現在の安城市小川町・姫小川町
⑤レファ協で類似の問題がないか調べる「愛知␣海岸線」で検索
➡名古屋市およびその周辺の海岸線が大昔(縄文時代など)どうなっていたか分かる地図がみたい(管理番号名古屋市鶴-2011-020)
参考文献にあたる
・『東海の自然をたずねて』(A450/トウ)
・『図説 愛知県の歴史』(A20/150)
p2“愛知県の地勢”縄文海進高潮頂期(今から6000-5000年前)の海外線を示す
カラーの地図あり
⑥①~⑤より現在の下記の地図で照らし合わせる。港の場所がここだとはっきり分からないが、大体の場所を確認
・『愛知県道路地図 県別マップル23』(291.5/シヨ/T) p91~92
【参考資料】
『安城市文化財図録 〔昭和58年〕』(A709/アン/A) p116 姫塚古墳
【記載のなかった資料】
『安城の地名』(A290/アン/A)江戸時代以前の記載なし
(2)郷土の棚をブラウジング(原始・古代時代で探す)
・『新編安城市史1 通史編 原始・古代・中世』(A234.5/アン/A)
p12~p14に縄文時代前期推定海岸線の載った地図あり
・『図説 愛知県の歴史』(A20/150)
p2 “愛知県の地勢”縄文海進高潮頂期(今から6000-5000年前)の海外線を示す
カラーの地図あり
・『東海の自然をたずねて』(A450/トウ)
p4~5 “約14万年前の東海地方” の図あり
〇堀内貝塚、縄文後期の海岸線とかなり離れている点について
①郷土の棚をブラウジング
➡『東海の貝塚』(A069/アン/A)
p53~西三河地方の貝塚と貝の種類の図:縄文時代の海外線を示す点線あり
L9~ とはいえ、5㎞先の干潟まで貝を拾いにいく健脚ぶり…
・『安城市文化財図録 〔昭和58年〕』(A709/アン/A) p116 姫塚古墳
②①『東海の貝塚』(A069/アン/A)の参考文献にあたる
『安城市史 本文編』(A234.5/アン/A)
p56 L12~
当時の海外線は岡崎平野では西尾市の南東部以南と考えられるのである・・それは堀内から6~8㎞も離れた地点である。…(中略)…およそ縄文時代人は健脚をもっていたのであり、定住に近い生活をするといいながらも日々の行動範囲はかなり広がったのである。」
③小川町から調べる
『小川の歴史をさぐる』(A234.5/オガ/A) p7~堀内貝塚のムラ
『桜井村史』(A234.5/モク/A) p10~
①~③より縄文時代人は健脚をもっていたので、海岸線と離れていても日々の行動範囲はかなり広かったことが分かる
(3)「姫小川村村誌」の所蔵について
①インターネットで「姫小川村村誌」で検索
➡『桜井古墳群保存管理計画書』(215.5/ア)歴博所蔵(PDF)
「第3章 桜井古墳群及び周辺の概要」の中に
「(2)桜井古墳群の調査研究
明治20~21年(1887~1888)頃、安城市域の村々に地誌材料調査の成果が残る
(安城市史編さん委員会 1973)…「姫小川村村誌」で姫小川古墳の記載がなく、・・・・」
と記載あり
参考文献:姫小川村1888「姫小川村村誌」『安城市史』資料編(A234.5/アン/A)とあり
②『安城市史』資料編(A234.5/アン/A)を確認する
p500~姫小川村村誌(地誌編纂)の記載あり(本文)
(4)姫下遺構の年代の分かる資料
◇郷土資料の遺構の本をブラウジング
・『姫下遺跡 大畑遺跡 長先遺跡』(A234.5/アン/A:007058282)
p14 第3章 遺構と遺物
※詳細な記載あり
・『史跡 姫小川古墳』(A234.5/アン/A)
p5 16行目~
「…姫下遺跡では古墳時代前・中期の竪穴住居群や人面文土器を含む多量の土器が‥」
と記載あり
・『姫下遺跡』(A234.5/アイ/A)
上記の資料を基に遺構の年代が推測される
【参考資料】
『三河国、ここにはじまる』(A234.5/サク/A)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 野村 力/編. 姫小川の由来. 野村 力, 1975.
- 桜井小学校「親子桜井めぐり」編集員会. 親子桜井めぐり. 愛知県安城市立桜井小学校, 201703.
-
日本歴史地名大系 23. 平凡社, 1981.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I30111100075719 , ISBN 4-582-49023-9 -
田中利雄 監修 , 東海化石研究会 編. 東海の自然をたずねて. 築地書館, 1997. (日曜の地学 ; 24)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002599342 , ISBN 4-8067-1031-8 -
林英夫責任編集 ; [林英夫ほか執筆]. 図説愛知県の歴史 23. 河出書房新社, 1987.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000797958152448 , ISBN 4309611230 -
愛知県道路地図 5版. 昭文社, 2022. (県別マップル ; 23)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032167967 , ISBN 978-4-398-63071-1 - 安城市教育委員会/編. 安城市文化財図録〔昭和58年〕. 安城市教育委員会, 1980303. (安城資料)
-
安城の歴史を学ぶ会 編. 安城の地名. 安城市教育委員会, 1986.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001821229 - 安城市史編集委員会/編. 新編安城市史 1 通史編 原始・古代・中世. 安城市, 200703.
-
安城市歴史博物館編. 企画展東海の貝塚 : 食べる・祈る・葬る. 安城市歴史博物館, 1998.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282272147255552 -
安城市史編さん委員会 編. 安城市史 資料編. 安城市役所, 1973-03.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000074-I000345598 -
安城市史編さん委員会 編. 安城市史. 安城市, 1971.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001210711 -
小川町郷土史編集委員会 編. 小川の歴史をさぐる. 小川町郷土史刊行会, 1998.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002742497 -
杢原利一 編. 桜井村史. 国書刊行会, 1981.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001511621 -
姫下遺跡・大畑遺跡・長先遺跡. 安城市教育委員会, 2004. (安城市埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 第14集)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007544384 -
史跡姫小川古墳 : 墳丘範囲確認調査報告書. 安城市教育委員会, 2011. (安城市埋蔵文化財発掘調査報告書 ; 第27集)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I023314897 -
愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター編. 姫下 (ひめした) 遺跡. 愛知県教育・スポーツ振興財団愛知県埋蔵文化財センター, 2012.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130000795912887296 - 桜井畜文化財保存会/編. 三河国、ここにはじまる 桜井古墳群の誕生. 桜井地区文化財保存会, 201506. (安城資料)
- キーワード
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- 浅間神社(センゲンジンジャ)
- 綾姫伝説(アヤヒメデンセツ)
- 萱口(カヤグチ)
- 姫小川村村誌(ヒメシタオガワムラソンシ)
- 堀内貝塚(ホリウチカイヅカ)
- 姫下遺構(ヒメシタイコウ)
- 一般書
- 郷土
- 安城
- 綾姫(アヤヒメ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000347623