レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月16日
- 登録日時
- 2011/12/26 20:44
- 更新日時
- 2012/08/02 10:45
- 管理番号
- 中央-1-00298
- 質問
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解決
60年代・70年代に、ミヒャエル・エンデの『モモ』や『はてしない物語』といったファンタジー作品が、現実逃避の文学であると批判が起こったらしい。その真相が知りたいので、逃避文学をあつかった本や資料を調べてほしい。エンデが関わっていなくても、逃避文学について知れればよい。
- 回答
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『世界大百科事典 24巻』 平凡社 の「ファンタジー」の項目に
「ファンタジーは一般に<逃避の文学>と批判されてきたが、1938年に発表した評論《妖精物語について》の中でトールキンが逃避を勇気ある行為と評価して以来この認識が逆転した」とある。
→『妖精物語について』 J.R.R.トールキン/著 評論社 2003.12
p94 妖精物語は、空想、回復、逃避、慰めなどを与えてくれるが、今日一般には、これらの大部分は、だれにとっても有害なものであると考えられている、との記述あり。
p117 回復、逃避、慰めについて
p124「逃避」と「慰め」について考察あり
p125~140 「逃避」はとても実用的で、悪く思われるのは言葉の誤用だと述べられており、妖精物語を「逃避」だという人々は、”他の生物と話をしたい”というような人間の大もとの願望なども否定してしまう。妖精物語のもつ「幸せな大詰め」は、物語の作る最もすばらしいもので、それは悲しみや失敗の存在を否定しないからこそ「喜び」をもたらす、というような内容が書かれている。
『世界児童・青少年文学情報大事典2』 藤野 幸雄/編訳 勉誠出版 2000.12
p251~ エンデ,ミヒャエルの項中、「ある批評家はエンデの哲学がナイーブで、その作品は逃避主義的だと考えているが~」とあり。
p252 最終行
「多くの批評家はエンデのファンタジーのほうに注目し、批評家の多くは彼の書いたものがたんなる「逃避」であるかどうかを議論していた。(略)「60年代の末、有名な「逃避論議」が始まっていました」とエンデは『ジャパン・タイムズ』に書いている。「現実的でない、政治に傾斜した社会批判、あるいは解放的なものは「逃げ」の文学と見なされていました。(略)」1970年、ついにエンデは批評家との議論をあきらめ、ドイツを去ってイタリアに住み、ここで新たなファンタジー作品『モモ』を書いた。」とあり。
→60年代末にエンデの作品に逃避批評がなされており、その後にエンデが『モモ』を書いたことがわかる。
エンデ以外で何かないか、amazon.co.jp で「逃避文学」で検索
『ヴィシー政府と国民革命』 川上 勉/著 藤原書店 2001.12
p101 第一次世界大戦と第二次世界大戦間におけるフランス文学の特徴のひとつをマシスという人が「逃避の文学」と呼んだ。具体的にはアンドレ・ジッドやマルセル・プルーストを指す。
p105~109「逃避の文学」―プルースト、ジッド批判
反フランス的教養に加担した、フランスの敗北に関係している作家だと批判された。
ジッドの作品は現実の拒否、つまり現実によって教えられること、あるがままの自分の姿を見ることを拒否している、と批判している。
Googleで「逃避の文学」で検索
富士大学サテライト市民講座「イギリスのファンタジー~ルイス・キャロルからJ.K.ローリングまで~」
http://www.tuins.ac.jp/jm/kokusai/kouza/2005satellite/satellite_mochiduki01.pdf (最終確認 2011年12月27日)
ファンタジーは不安、悲観主義、内省、逃避、現実批判の精神から生み出されるとあり。
(『ファンタジーと歴史的危機』 安藤 聡/著 彩流社 2003.1 より引用)
前述の『妖精物語について』では、妖精物語がファンタジー、回復、逃避、慰めを読者に与えるとあり。
『児童文学の中の子ども(NHKブックス)』 神宮 輝夫/著 日本放送出版協会 1977
をテキストファイル化したHP
http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/jidoubunngakunonakanokodom/080-089.htm (最終確認 2011年12月27日)
「~しばしば逃避の文学と見なされる魔法とファンタジーの物語―ホビットやメアリーポピンズの中に~」とあるので、これらも逃避文学とされるのかもしれない。
Googleで「ファンタジー 逃避文学」で検索
近藤悟「『モモ』における現代批判について」『人文論及』51(4),p.201~213
(関西学院大学リポジトリで全文閲覧可能)
この論文中に、『モモ』が世に送り出されると多くの批評家たちが逃避文学、芸術至上主義、とりわけ「非政治的」であると批判したこと、特にヘルマン・バウジンガーの批判は際立った一例であると書かれている。
→しかしながら、さいたま市図書館で所蔵しているバウジンガーの著書を書名から判断した限りでは、関係ありそうなものはなかった。
Googleで「はてしない物語 逃避」と検索したところ「読書体験の物語化、読書へのオマージュとしての『はてしない物語』」 (敬和学園大学 桑原ヒサ子教授)がヒット。CiNiiにも掲載あり。
http://nirr.lib.niigata-u.ac.jp/bitstream/10623/25132/1/keiwa_356_5_43-58.pdf (最終確認 2011年12月27日)
この論文によると、60年代の西ドイツは、学生運動の時代で、文学にも政治的な活動が求められ、それに耐えられずエンデはイタリアへ移住したとある。論文に、『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』 ミヒャエル・エンデ/[著] 2000.2 からの引用があったので、この資料も提供。
エンデがつらかったと語る当時のドイツの社会背景が載っているものを探す。
『ドイツ文学案内』 手塚 富雄/著 岩波書店 1993.3
p327~ 60年代の学生反乱について記述あり。
『はじめて学ぶドイツ文学史』 柴田 翔/編著 ミネルヴァ書房 2003.1
p242~ 学生運動と文学の死 という章あり。
『ドイツ近代文学理論史』 p146~ 1961年からの西ドイツ歴史の記述。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『ミヒャエル・エンデ』 安達 忠夫/著 講談社 1988.3
p26に「ミヒャエルエンデの文学は、現実からの逃避であり、無責任な政治回避であるとして絶えず批判されてきた。」を読んで、詳しく知りたいと思った。
- NDC
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- 児童文学研究 (909)
- ドイツ文学 (940)
- 参考資料
- キーワード
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- モモ
- ミヒャエル・エンデ
- はてしない物語
- 逃避文学
- ファンタジー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000099025