レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月21日
- 登録日時
- 2022/03/04 11:11
- 更新日時
- 2022/03/04 11:11
- 管理番号
- 横浜市中央2651
- 質問
-
解決
横浜・山手地区にある「ブラフ積み」とはどんなものか。
どこで見られるか。
- 回答
-
1 ブラフ積とは
(1)「震災前山手の異人館」堀 勇良(たけよし)/著(『横浜山手東部地区洋館群保存
対策調査報告書 昭和59年度』 横浜山手洋館群保存対策調査委員会/編 横浜市教育
委員会 1985.3)
p.10 「横浜山手には、地形上多くの石積擁壁がみられる。その石積は、煉瓦積でいう
ところのフランス積(一段の中に長手面と小口面とが交互に並ぶ)風の積み方で積まれて
いる。(中略)他の開港場には見られない積み方なので、横浜特有の石積かと思われる。
〈ブラフ積〉とでも名付けたいと思う」
p.7には「横浜山手は、居留外国人たちからブラフBLUFFと呼ばれ」とあり、名前の由来
はここだと思われます。
(2)『横浜市歴史的環境保全整備調査報告書 歴史をいかしたまちづくり構想策定調査』
横浜市都市計画局都市デザイン室/[共]編集 横浜市 1985.03
p.121に、上記と同様の説明があるほか、p.122に分布図があります。
(3)「横浜山手 歴史の中の西洋館」堀 勇良/著(『横浜山手 西洋館が似合う港の丘』
横浜市教育委員会社会教育部文化財課/編 横浜市教育委員会 1986.3)表紙裏
「横浜山手に広範にみられることから『ブラフ積』と称しています。(中略)ブラフは『切り
たった崖』を意味しています」
(4)『横浜山手 横浜山手洋館群保存対策調査報告書』 横浜市教育委員会/編
横浜市教育委員会 1987.3
p.7-8 (1)と同様の説明があるほか、明治10年代に修築されたブラフ積の記録があります。
(5)「横浜山手の遺産」堀 勇良/著(『都市の記憶 横浜の近代建築 2』 横浜市
都市計画局都市デザイン室/企画 横浜市歴史的資産調査会 1996.2)p.56-57
「山手の工作遺物としてあちこちに見受けられるのが石垣擁壁である。(中略)造成初期に
おいては応急的に木製柵によって土留がなされたが、順次石垣に改造されていったもので
ある。対岸で産出される房州石を用い、棒状の石材を石垣一段の中に長手面と小口面とを
交互にみせる積み方(煉瓦積でいえばフランス積)に特徴があり、山手地区に広範にみら
れる石積みのためブラフ積と称する」
2 見られる場所
(1)『山手地区洋館群保全活用基本調査報告書』 横浜市都市計画局 1991.3
p.41-42 1(2)の分布図が再掲されており、「現在の擁壁の保存状況は不詳だが、(中略)
それほど劇的に消失していることはないと思われる」とあります。なお、この本では
「ブラフ石積み」となっています。
(2)「歴史あるブラフ積み」(「東急沿線新聞」1997年7月11日4面)
掃部山(かもんやま)公園のブラフ積みが解体・復元されたこと、説明板が設けられ
ていることが書いてあります。
(3)「土木紀行 知られざる風景 横浜 ブラフ積とブラフ溝」堀 勇良/著
(「土木学会誌 Civil Engineering」 1999年8月号 土木学会)
p.36-37 横浜市内では、掃部山公園、フランス山沿い(最大長のものであろう、
とあります)が紹介されています。
また、「確認されている現存最古の『ブラフ積』は、今のところ、フランス人が指導した
1871(明治4)年竣工の横須賀第1号ドッグの渠壁になるようである」とあります。
(4)『都市の記憶―横浜の土木遺産』 横浜市都市計画局都市デザイン室/〔編〕
横浜市歴史的資産調査会 2002.3
p.54に掃部山公園のブラフ積擁壁の写真があります。p.52にもブラフ積の写真がありますが、
キャプションは「中区山手町各地」です。
p.52の文章は、下記でもご覧いただけます。
「山手地区のブラフ積擁壁について」
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamate.files/0001_20180928.pdf
(5)『横浜山手公園物語』 横浜山手・テニス発祥記念館/編 有隣堂 2004.5
p.19「ブラフ積の石垣は、記録されたもので山手地区に十一箇所ある」とあり、山手公園、
フェリス女学院沿いのブラフ積の写真があります。
(6)『よこはま百問 かながわ検定・横浜ライセンス受験参考問題集』
かながわ検定協議会/編 かながわ検定協議会 2006.12
p.191「山手を中心に現在の中区・西区・南区に広がったが、他地区の例はそう多くはない。
横須賀もまた造船所の関係で多く、鎌倉・逗子あたりでも発見される」とありますが、具体
的な場所は書かれていません。掃部山公園の写真があります。
(7)「山手地区のブラフ積擁壁《別図》」
平成25(2013)年時点の分布図です。
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamate.files/0003_20180928.pdf
「山手のあらまし」のページ内にあります。
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamate.html
(8)「ブラフ積に注目!」鈴木 広/著(「横濱 YOKOHAMA」 Vol.71
2021年新春号 神奈川新聞社)p.19
「(山手では)至る所でブラフ積が見つかる。港の見える丘公園の入り口で、谷戸坂の
交番横にあるバス停の足下で、横浜地方気象台の前で、さらに山手111番館にも、ブラフ
積がある。」
その他、山手から聖坂に下る坂、山手124番地裏手、西野坂下のブラフ積が写真付きで
紹介されています。
URL最終確認日 令和4(2022)年1月14日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 建築構造 (524 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000313013