レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2021/05/19 11:00
- 更新日時
- 2022/04/05 11:56
- 管理番号
- 2021-79
- 質問
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解決
旧制第二高等中学校時代の俳人「高濱虚子」と「河東碧梧桐」について知りたい。
①旧制第二中学校における予科の修業期間は何年か
②2人が入っていた寮の名前と現在地
- 回答
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①について
『仙台市史 通史編6』仙台市史編さん委員会/編集 2008年
p.348に“第二高等中学校は、定員四六〇名の本部と定員二〇〇名の医学部から成り立っていた。本部はさらに予科と本科に分かれ、予科は尋常中学校二年修了程度の学力の者を入学させて修業年限は三年…”との記載あり。
②について
『現代日本文学大系19 高浜虚子 河東碧梧桐 集』筑摩書房 1968年
p.309「子規居士と余」下段“新町四十七番地鈴木芳吉という湯屋の裏座敷を借りて…”とあり。
『定本高濱虚子全集 別巻 虚子研究年表』松井利彦/著 毎日新聞社 1975年
p.37明治二十七年“碧梧桐と共に、仙台新町四十七番地鈴木芳吉方に寓居。9月”とあり。
『第二高等学校史』第二高等学校史編集委員会/編集 1979年
p.224“仙台では一緒に新町(荒町)に下宿して…”とあり。
『子規全集 第十八巻 書簡一』正岡子規/著 講談社 1977年
p.491明治二十七年九月十七日“仙臺市立町通六番地鈴木芳吉方”
p.496明治二十七年十月二十五日“仙臺市大町通五丁目新町七番地鈴木芳吉方
『宮城県百科事典』河北新報社 1982年
p.653高浜虚子の項に“当時の大町五丁目新丁に下宿した”とあり。
『二本のシラカシの木 ―近代文学と仙台―』金沢規雄/著 里文出版 1992年
p.143「高浜虚子と河東碧梧桐」に大町五丁目新町は現在の仙台市青葉区一番町三丁目にあたる、と記載あり。また、“鈴木芳吉は、この一画で「芳の湯」という銭湯を経営していた。”とあり。
→寮には入らず下宿をしたようです。“立町通六番地”“新町四十七番地”についてははっきりとはわかりませんでしたが、
『100年前の仙台を歩く―仙台地図さんぽ』イーピー風の時編集部 2016年
(大正元年発行の地図をもとにしたもの)p.42「大町界隈」大町五丁目新丁辺りに芳の湯が載っていました。
- 回答プロセス
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郷土資料として仙台市史や第二高等学校関連、高濱虚子の文学史関連書などから資料を見ていった。
また、古地図で住所の確認をした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 大学.高等.専門教育.学術行政 (377)
- 作品集 (918)
- 参考資料
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- 『仙台市史 通史編6』仙台市史編さん委員会/編集 2008年
- 『作家の自伝6 高浜虚子』高浜虚子/著 日本図書センター 1994年
- 『現代日本文学大系19 高浜虚子 河東碧梧桐 集』筑摩書房 1968年
- 『定本高濱虚子全集 別巻 虚子研究年表』松井利彦/著 毎日新聞社 1975年
- 『第二高等学校史』第二高等学校史編集委員会/編集 1979年
- 『子規全集 第十八巻 書簡一』正岡子規/著 講談社 1977年
- 『宮城県百科事典』河北新報社 1982年
- 『二本のシラカシの木 ―近代文学と仙台―』金沢規雄/著 里文出版 1992年
- 『100年前の仙台を歩く―仙台地図さんぽ』イーピー風の時編集部 2016年
- キーワード
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- 高濱虚子
- 第二高等学校
- 河東碧梧桐
- 大町
- 旧制第二高等中学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000298433