レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月13日
- 登録日時
- 2021/10/15 11:06
- 更新日時
- 2021/12/28 09:35
- 管理番号
- 北九2021中央068
- 質問
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解決
福岡県企救郡大里町の町長であった柳原保太郎氏についてわかる資料はあるか。
大正2年2月町長新任、大正6年2月再選、大正10年3月再選されている。
- 回答
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大里町長選任時の『門司新報』(大正2年1月26日付)で「現任長崎水道課長柳原保太郎」と報じられている。
「長崎水道課長」というのは、国立国会図書館デジタルコレクション『偉人野中兼山伝』のなかで
「野中兼山翁祭典」の「一般賛助者」欄に「長崎市水道課長柳原保太郎」として名を連ねていることから、
”長崎市”の水道課長のことのようである。
なお、大里町は大正12年門司市に編入されるが、当時の町長は「永野九一郎」となっており
(『門司市編入当時の大里町 全』)柳原氏の退任日については不明である。
- 回答プロセス
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地区館からの照会。
当館のみ所蔵する資料を中心に調査し、大里町長就任時の新聞記事を確認。
『門司新報』大正2年1月26日に「現任長崎水道課長柳原保太郎氏を選任したる由」との記事を確認
着任前は「長崎水道課長」という役職に付いていたようなので、google books で検索、上記資料を確認した。
なお、国立公文書館所蔵『職員録・明治十七年二、八月・職員録(内務省改)』で
「土木局書記官 御用掛 柳原保太郎 高知県士族」
との記載をみつけたが同一人であるかの確認はできなかった。
- 事前調査事項
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大里町は旧門司市、現北九州市門司区にあった町。明治41年に町制が施行され、大里町となり、大正12年門司市に編入された
大里町には当時、鈴木商店系企業が多数があり、「鈴木商店記念館」というホームページの「依岡省輔伝」にに、旧友として土佐出身・長崎在住「柳原保太郎」名が出てきた。大里町長との関係について該当資料を見つけることができなかった。
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 門司新報
- 「門司市編入当時の大里町」
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上野雅生/著 , 上野 雅生 , 上野 雅生. 九州紳士録 : 大正5年. 九州集報社, 1916-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I103770564-00 -
西内青藍 著 , 西内, 青藍. 偉人野中兼山. 野中兼山出版祭典専務所, 1911.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001785425-00
- キーワード
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- 柳原保太郎
- 福岡県企救郡大里町
- 長崎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000306094