レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年06月01日
- 登録日時
- 2018/06/07 16:19
- 更新日時
- 2021/01/25 16:01
- 管理番号
- 東浦和-1-00019
- 質問
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解決
江戸時代の岩槻藩領の範囲を知りたい。領内の村の名前とその位置も知りたい。
- 回答
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岩槻藩の領域は、江戸時代の間にも変遷があったということが分かった。
領域の変遷の概要が、『岩槻市史 通史編』(岩槻市役所、1985年)p536~p540に記されている。
同書で領内の村名まで確認できるのは、小笠原氏が藩主の時代(元禄10(1697)年~正徳元(1711)年)と、大岡氏が藩主の時代(宝暦6(1757)年~明治2(1869)年)。
各村の位置については、「明治二十八年埼玉県管内全図」(『新編埼玉県史 別編1 民俗 1』埼玉県 1988年 付録)が参考になる。
- 回答プロセス
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・阿部氏が藩主の時代(元和9(1623)年~天和元(1681)年)の藩領について、同書p434~439、p537に記されている。p435には「正保頃の県内における岩槻,川越,忍藩領図」、p437には「寛文4年ころの県内における岩槻,川越,忍藩領図」、p537には「阿部正邦時代の2か筋」の地図が掲載されている。
・戸田忠昌が藩主の時代(天和2(1682)年~貞享3(1686)年)には、岩槻藩領の村の数が減少していることが、同書p.451に記されている。
・松平忠周が藩主の時代(貞享3(1686)年~元禄10(1697)年の藩領については、同書p458~459に記されている。p458には、「岩槻藩領城付地」の地図が掲載されている。
・小笠原氏が藩主の時代(元禄10(1697)年~正徳元(1711)年)の藩領については、同書p461、p538に記されている。p461には「城付地一覧表」(村名の記載あり)、p538には「小笠原氏時代の5か筋」の地図が掲載されている。
・大岡氏が藩主の時代(宝暦6(1757)年~明治2(1869)年)の藩領については、同書p490~495、p539に記されている。p491には「宝暦6年の城付地」の地図、p493年には「明治元年の城付地」の地図、p495には「大岡家城付地の筋・村名一覧表」、p539には「大岡家時代の2か筋」の地図が載されている。
・明治2(1869)年に版籍奉還が行われた時点の、現在の岩槻区内にあった村の所属については、同書p815~828に記されている。p816には「版籍奉還時の藩県図」、p817には「版籍奉還時の岩槻市域」の地図、p825には「近世以降領有関係及び町村制施行までの行政区画変遷」の表が掲載されている。
・なお、現在の岩槻区域で岩槻藩以外の支配下にあった地域(天領、他藩領、旗本領、寺社領)とその変遷については、資料1のp496~507、及びp825「近世以降領有関係及び町村制施行までの行政区画変遷」の表に記されている。
・上記資料に記された各村の位置については、「明治二十八年埼玉県管内全図」(『新編埼玉県史 別編1 民俗 1』埼玉県 1988年 付録)が参考になる。
・この他、『新編埼玉県史 通史編3 近世1』、『新編埼玉県史 通史編4 近世2』にも、各藩主の時代の藩領についてに記されているが、いずれも村数や石高の記載に留まり、村名や位置図は記載がなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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岩槻市史 通史編.(岩槻市役所, 1985).
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001789132-00 -
新編埼玉県史 別編 1 民俗 1.(埼玉県, 1988)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001910475-00 -
新編埼玉県史 通史編 3 近世 1.(埼玉県, 1988).
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001933847-00 -
新編埼玉県史 通史編 4 近世 2.(埼玉県, 1989).
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001988023-00
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岩槻市史 通史編.(岩槻市役所, 1985).
- キーワード
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- 岩槻藩
- さいたま市岩槻区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- さいたま市岩槻区 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000237008