レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012.03.27
- 登録日時
- 2015/06/09 00:30
- 更新日時
- 2015/06/09 00:30
- 管理番号
- 新市図-01410
- 質問
-
解決
桂尚樹著『良寛と桂家 豊臣秀吉の子孫』の中に,豊臣秀頼が大阪の陣で死亡せず,能登に逃げたという説が書かれている。
この説についてさらに知りたいが,他に資料がないか。
これに関連して,「桂家の初代が新津に来た理由が分かれば,なおよい。
- 回答
-
下記資料から該当部分を紹介。
『豊臣氏存続 豊臣家定とその一族』(早瀬晴夫 今日の話題社 2006)
また「桂家の初代が新津に来た理由」や「秀頼が能登に逃げた理由」については不明と回答した。
- 回答プロセス
-
『良寛と桂家』によると,能登に逃げた秀頼が時国家へ養子に入り,その孫が越後に来て桂家の初代になった,とある。
下記の資料(1)~(6)までを確認するが,「桂家の初代が新津に来た理由」や「秀頼が能登に逃げた理由」などについては記載なし。(7)については桂尚樹氏の説を取り上げて,反論している。
(1)『近世越後の学芸研究 第1巻』(帆刈喜久男 高志書院 2002)
(2)『桂家の人々』(手作り製本 出典不明)
(3)『桂家の歴史・文化』(新津市文化振興財団 2000)
(4)『図解にいがた歴史散歩 新津・白根』(新潟日報事業社出版部 1984)
(5)『人づくり風土記 15』(農山漁村文化協会 1988)
(6)『新編日本武将列伝 6』(桑田忠親 秋田書店 1989)
(7)『豊臣氏存続 豊臣家定とその一族』(早瀬晴夫 今日の話題社 2006)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 豊臣秀頼
- 桂家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000175591