レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年06月29日
- 登録日時
- 2022/12/16 10:41
- 更新日時
- 2022/12/22 17:58
- 管理番号
- 中央-1-0021605
- 質問
-
解決
画家の丸木位里・丸木俊夫妻が戦時中浦和に住んでいたことがあると聞いたが、浦和での暮らしぶりや、今の美術館がある東松山市に移ったいきさつなどが書いてある本はあるか。
- 回答
-
下記資料を紹介した。
●図書資料
『女絵かきの誕生』丸木俊/著 朝日新聞社 1977年
『遺言 丸木位里・俊の五十年』菅原憲義/著 青木書店 1996年
『埼玉の画家たち』水野隆/著 さきたま出版会 2000年
●インターネット情報
(最終アクセス確認日 2022年12月16日)
NHK日美ブログ「第24回 埼玉・東松山市へ 丸木位里・俊を訪ねる旅」(2016年10月16日)
https://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/254629.html
- 回答プロセス
-
●所蔵資料を調べる
『女絵かきの誕生』丸木俊/著 朝日新聞社 1977年
p113「そのころ、東京がこわくて浦和に疎開していた絵の好きな友だちが、浦和にも空襲があってこわくなったから、郷里の岡山に帰る、その留守番に来てもらいたい、とたのんできました。~」とあり。
p117までは浦和在住時代について書かれている。原爆が投下される直前までは浦和にいたようだが、浦和での様子は空襲があったこと以外あまり書かれていない。
p185から美術館設立について書かれている。土地を探していたところ、埼玉県東松山市下唐子によいところがあるという情報があり、その土地に美術館を建てることにした、とあり。
『遺言 丸木位里・俊の五十年』菅原憲義/著 青木書店 1996年
p212 年表の中に、1945年8月6日「広島に原爆が投下される。埼玉県浦和市に疎開していた位里が列車を乗り継いで広島へ救援に行く~」とあり。また同年9月初めに「丸木夫妻、広島から引き揚げる。空襲から免れた池袋モンパルナスのアトリエ村の借家へ帰る」とあり。浦和へは戻っていないと思われる。
『埼玉の画家たち』水野隆/著 さきたま出版会 2000年
p238~244 「丸木位里・丸木俊」の項目あり。
p241「その後、太平洋戦争が勃発。貧しい生活を俊子が支えながら空襲の火中を逃げまどううち、疎開先の浦和で、依里の故郷広島に「新型爆弾」が投下されたことを知った。」
下記資料には記述なし。
『ふたりの画家-丸木位里・丸木俊の世界 本橋成一写真録-』本橋成一/著 ポレポレタイムス社 2005年
●インターネット情報を調べる
(最終アクセス確認日 2022年12月16日)
NHK日美ブログ「第24回 埼玉・東松山市へ 丸木位里・俊を訪ねる旅」(2016年10月16日)
https://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/254629.html
「広島に原爆が投下されたのは、結婚して4年目の頃。ふたりは埼玉県浦和市大谷場(現・さいたま市南区)に疎開していました。」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 10版)
- 絵画 (720 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 丸木俊
- 丸木位里
- 浦和市
- さいたま市南区
- 東松山市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000325838