レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月30日
- 登録日時
- 2013/10/18 09:59
- 更新日時
- 2014/02/19 11:14
- 管理番号
- 相市-H25-003
- 質問
-
未解決
①「霞ヶ関」の地名が第二次世界大戦終戦時と今とで変わっているか。
②霞ヶ関に終戦まで海軍省と東京通信本隊(海軍省所属)が存在していたか。
- 回答
-
①明治5年~昭和42年まで「霞ヶ関」。昭和42年~現在は「霞が関」。「ヶ」・「が」の表記が変わっている。
②海軍省は終戦まで霞ヶ関に存在した。東京通信本隊については確認できなかった。
- 回答プロセス
-
①について
地名辞典を確認したところ、次のことがわかった。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』 角川書店 1998 〔R291・s22880165〕
p.189 かすみがせき の項に、次の記述あり。
「明治5年~昭和42年の町名。地名の由来は江戸期以前荏原(えばら)郡の東境に
あった奥州街道の関名によるといい、日本武尊が蝦夷に備えて設けたもので雲霞を
隔てる眺望の地であったことからつけられたという伝説がある(武蔵野地名考)。
~中略~ 明治11年麹町区に所属。 ~中略~ 昭和22年から千代田区に所属。
~中略~ 昭和42年現行の霞が関1~3丁目・永田町となる。」
『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』 平凡社 2002 〔R291・s20978953〕
p.134 千代田区 霞が関 の項に、次の記述あり。
「現千代田区の南部、桜田門外一帯の呼称。古くは霞ヶ関と記され、江戸時代は
霞の関ともよんだ。古くは奥大道の関が桜田御門の南、黒田家・浅野家屋敷の間
にあったと伝える(江戸名所図会)。」
~中略~ 「昭和四二年「霞ヶ関」を「霞が関」と改変。」
②について
前出の地名辞典に霞ヶ関に海軍省ががあった旨の記述あり。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』 角川書店 1998 〔R291・s22880165〕
p.190 かすみがせき の項
「外務省・海軍省・貴族院・衆議院長官舎・有栖川宮邸があった」との記述あり。
『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』 平凡社 2002 〔R291・s20978953〕
p.134 千代田区 霞が関 の項7行目以降に、次の記述あり。
「明治5年(一八七二)現霞が関一丁目の区域には同二丁目と西日比谷町が
起立。二丁目には近衛兵営が設置されたが、のち海軍省・海軍大臣官邸・
衆議院議長官舎となった。」
分類R031の事典類で「海軍省」を引いてみたが場所の記載なし。国史大辞典で「海軍省」の
項を確認してみた。
『国史大辞典 第3巻 か』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983
〔R210・s02039345〕
p.24 「海軍省」の項に、「やがて同二十七年十二月十五日、最後までの地である霞が関
の新設庁舎に移転した」との記述あり。
1945年12月に海軍省が廃止されているので、それまでは霞が関に存在したと
考えられる。
『日本の軍隊』 新人物往来社 2008 〔392.1・s26246892〕
p.63 写真解説文に「霞ヶ関にあった海軍省」の記述があるが、年代の記述なし。
ほかに日本海軍に関する下記の資料を確認したが、海軍省・東京通信本隊が霞が関にあった
という記述は見つからなかった。
『日本海軍編制事典』 坂本正器/編著 芙蓉書房出版 2003 〔R397・s22794358〕
『日本陸海軍事典』 原剛、安岡昭男/編 新人物往来社 1997 〔R392・s14817027〕
『日本陸海軍総合事典 第2版』 秦郁彦/編 東京大学出版会 2005 〔R392・s24266553〕
『海軍の昭和史』 杉本健/著 文藝春秋 1982 〔397.2・s23985971〕
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 海軍 (397 9版)
- 参考資料
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- 『角川日本地名大辞典 13 東京都』 角川書店 1998
- 『日本歴史地名大系 13 東京都の地名』 平凡社 2002
- キーワード
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- 霞ヶ関
- 霞が関
- 海軍省
- 東京通信本隊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139105