レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年2月26日
- 登録日時
- 2016/02/26 11:20
- 更新日時
- 2016/03/18 18:06
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-89
- 質問
-
解決
八瀬童子(やせどうじ)について知りたい。
- 回答
-
八瀬(京都市左京区)は,若狭街道(鯖街道)沿い,比叡山西麓を流れる高野川一帯にある,山間の集落です。
古来から,この地域に居住する人々のことを“八瀬童子”と呼びました。八瀬童子とよばれる理由については,髪が総髪・ざんばら髪であったからなど,諸説あります。【資料3~5・10~12】
本来「童子」とは寺院に属して従事する人々のことです。
八瀬童子は,比叡山延暦寺(滋賀県)と深くかかわりがあります。平安時代中期,八瀬は延暦寺青蓮坊(現在の青蓮院)の所領となり,僧侶の道案内や登山の手助けをしました。
八瀬童子は駕輿丁(かよちょう)として活躍しました。
もともと,天皇・将軍・僧侶など身分が高い人の移動手段に,輿(駕輿・かよ)が広く用いられ,輿を担ぐ人々は,駕輿丁という身分を与えられました。
後醍醐天皇や足利義満の比叡山行きの輿を担いだと考えられています。
明治時代以降は,主に天皇が皇居内を移動する時の輿や,大正天皇,昭和天皇の大礼(たいれい)・大喪(たいそう)における葱花輦(そうかれん)を担ぎ奉仕しました。
【資料3~8・14・17】
- 回答プロセス
-
●京都の歴史から・・・【資料1】【資料2】
●キーワード“八瀬童子”で当館所蔵資料を検索する。・・・【資料3~8】
【資料3】・・・八瀬童子会文書,駕輿丁としての八瀬童子についてなど歴史詳しい。
p123,p136~140 大正,昭和両天皇の大喪など,白黒写真掲載。
【資料4】・・・p61 “輿丁を八瀬童子のみが独占した一因には,皇室が神道を宗旨としたことと関係していた”
表紙,p62 白黒写真掲載。
【資料6】・・・p148 葵祭で八瀬童子は90名が出仕している。
p137より・・・【資料17】明治天皇,大正天皇大喪で柩を担いだ八瀬の長老による言い伝え,談話の詳細が記述されている。
【資料7】・・・p14「葱花輦を担ぐ八瀬童子」(明治天皇大喪)白黒写真掲載。
●洛北の地誌や歴史から・・・【資料9~13】
【資料9】・・・p121総髪の風習が明治初年まで続けられた。
“童子会というのは,児童のものではなく,八瀬童子を祖先に持つ人たちの会である”
p124童子会の規則明記あり。(明治17年1月31日附京都府丙第18号)
【資料10】・・・p12 八瀬童子とよばれる理由。
【資料11】・・・“源平の昔,狼藉者が禁裏に流れ込もうとしたとき,警固に当って禁裏守護の責任を果した”
p34 八瀬童子とよばれる理由。
【資料12】・・・p46 八瀬童子とよばれる理由。
●【資料4】【資料10】より・・・【資料16】
新井白石の自叙伝『折たく柴の記』収録。p256,257 延暦寺との境界争い,八瀬童子の訴訟経緯が記されている。
●国立国会図書館レファレンス協同データベースを“八瀬童子”で調べる。
“大喪の礼の際に柩を担ぐ人について知りたい。世襲なのではないか。”参考資料より・・・【資料14】【資料15】
(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000128774埼玉県立久喜図書館事例)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都大事典』(淡交社 1984)p927“八瀬童子”
- 【資料2】『史料京都の歴史 8 左京区』(京都市/編 平凡社 1985)p418~443“八瀬村”
- 【資料3】『八瀬童子 歴史と文化』(宇野 日出生/著 思文閣出版 2007)
- 【資料4】『八瀬童子』(京都文化博物館ほか/編集 京都文化博物館 2012)
- 【資料5】『講座・人権ゆかりの地をたずねて 2013年度講演録』(世界人権問題研究センター 2015)p145~164「輿を担ぐ人々」西山 剛/著
- 【資料6】『辺土歴程』(前田 速夫/著 アーツアンドクラフツ 2013)p135~155“鬼の子孫 八瀬童子の里”
- 【資料7】『叢書京都の史料 4 八瀬童子会文書』(京都市歴史資料館 2000)
- 【資料8】『天皇制と八瀬童子』(池田 昭/著 東方出版 1991)
- 【資料9】『京都洛北物語』(坪井 正直/著 雄山閣出版 1972)p117~125
- 【資料10】『京都発見 3 洛北の夢』(梅原 猛/著 新潮社 2001)p9~57“八瀬の里のものがたり”
- 【資料11】『観光ガイド洛北』(洛北保勝会連合会/編集 洛北保勝会連合会 1961)p33
- 【資料12】『京の里北山』(毎日新聞京都支局/編 淡交社(発売) 1966)p45~47“八瀬童子のこと”
- 【資料13】『洛北誌 旧京都府愛宕郡村志』(旧京都府愛宕郡役所/編著 大学堂書店 1972)p337~355“八瀬村”
- 【資料14】『輿 ものと人間の文化史 156』(櫻井 芳昭/著 法政大学出版局 2011)p200~204“八瀬童子”
- 【資料15】『明治天皇大喪儀写真』(橋爪 紳也/監修 新潮社 2012)p152
- 【資料16】『日本古典文学大系 95 戴恩記』(岩波書店 1978)p147~450「折たく柴の記」
- 【資料17】『日本の近代猪瀬直樹著作集 10』(猪瀬 直樹/著 小学館 2002)p82~149“柩をかつぐ-八瀬童子の六百年”
- キーワード
-
- 八瀬童子
- 八瀬
- 洛北(左京区)
- 輿
- 駕輿丁(輿丁)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 八瀬(京都市左京区) 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000188599