レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年10月20日
- 登録日時
- 2022/11/01 11:57
- 更新日時
- 2023/02/22 17:14
- 管理番号
- 相大-R4-009
- 質問
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未解決
陸軍の練兵場だった場所に、第二次世界大戦後開拓のため移住してきた人達の住居が10数件建てられそこに暮らしていた人の井戸があったと聞いたことがある。その井戸が現在は自分の家の敷地内にあったが場所がはっきりわからない。どこにあったのか場所がわかるものが見たい。
- 回答
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場所を特定できるものは見つけられなかった。
- 回答プロセス
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ゼンリンの住宅地図には井戸の記載がない。
井戸の地図記号井桁マークは明治時代から「井戸」を表していたが、昭和40年(1965年)に「油井、ガス井」になった。
自館所蔵の古い地形図を確認したが、井戸の地図記号では詳細な場所は特定できないことがわかった。
市立博物館に航空写真・過去のものが所蔵していることをお伝えし、利用者自身行かれたが、解像度が低くて確認できなかった。
環境保全課に問合せする。2009年(平成21)からの井戸情報のデータあり。該当の住所には記載がなかった。
インターネットで調べる
国土交通省>土地分類調査・水調査>全国地下水資料台帳調査より神奈川県のデータを確認する。
国土交通省の市町村コードで相模原は「150~153」なので探すと12件あるが、該当地の記載はなかった。
自館の郷土資料から調べる
『麻溝合地区の生い立ち 相模原旧陸軍士官学校練兵場跡地開墾六十周年記念誌』麻溝台地区郷土誌編纂委員会/編 麻溝台地区郷土誌編纂委員会 2010 【s26384628 K1-21】
P96 「第二節 入植後の麻溝台地区での暮らし 第一期(昭和20~24年)」より引用「軍施設内には水道が引かれていましたが、そこを一歩外れると、井戸水に頼るしかありません。しかし練兵場内の井戸は限られており、しかも長らく放置されて、その多くは涸れてしまっていましたから、飲み水の確保が最も困難を極めました。」
P112「実地体験記・開拓当時の思い出 一、貰い水からのスタート」
P207「附載資料 昭和22・23年頃の麻溝台開拓農業協同組合本部共有地」の図あり。共同浴場と共同炊事場の間に井戸があったことがわかった。
『麻溝地域を中心とした関東大震災誌』 麻溝地区老人クラブ連合会 麻溝地区老人クラブ連合会 1982 【s06133987 K1-26】
P48「麻溝地域における井戸の分布について」に「自治会別井戸分布表」昭和57年現在があるが相談者の姓はなかった。
『公共用水域及び地下水の水質測定結果 平成20年度神奈川県』 神奈川県環境科学センター/編 神奈川県 2009 【s26628453 K0-51】
P348 「定点調査 測定地点」に「相模原市麻溝台/深井戸/工業用水」の記載あり
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 『麻溝合地区の生い立ち 相模原旧陸軍士官学校練兵場跡地開墾六十周年記念誌』麻溝台地区郷土誌編纂委員会/編 麻溝台地区郷土誌編纂委員会 2010
- 『麻溝地域を中心とした関東大震災誌』 麻溝地区老人クラブ連合会 麻溝地区老人クラブ連合会 1982
- キーワード
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- 麻溝台
- 井戸
- 練兵場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000323256