レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230816
- 登録日時
- 2023/11/03 00:30
- 更新日時
- 2023/11/15 09:13
- 管理番号
- 30002317
- 質問
-
未解決
幕末維新頃の津藩士・柳方二郎について調査している。
福岡県の郷土誌「筑紫史談」30の「金子才吉事蹟(上)」に「伊勢の津藩士・柳方二郎が崎陽執業中の雑記」と記載されている部分がある(中味は長崎伝習所に於ける生徒名学科名が記載されている)が、省略が多いため、原文を確認したいと思い、実際に柳方二郎という藩士がいるかどうか、記録が残っているかどうか調べたが不明であった。
柳方二郎という津藩士が存在していたかどうか、実際に存在していたら長崎での記録は残っているかどうか知りたい。
- 回答
-
「柳方二郎」について以下の資料に記載がありました。
『科学史研究 68』日本科学史学会/編 1963(国立国会デジタルコレクション)
20コマ目(p.181右列)に「柳方二郎(のちの楢悦、長崎海伝卒、柳宗悦の父)」という記述があります。
『教育学研究紀要43[(1)]』中国四国教育学会 編・発行 1998(国立国会デジタルコレクション送信館資料)
61コマ目に「柳方二郎(柳楢悦)」と記載されています。
『海事史研究 : Journal of the Japan Society for Nautical Research 48』日本海事史学会1991-05(国立国会デジタルコレクション送信館資料)
36コマ目(p.67)に「柳方二郎(楢悦):水路部沿革史・附録(上)一崎陽執業中雑記」「柳は津藩から派遣された伝習生」という記述があります。
これらの記述の確認のために、柳楢悦について以下の資料を調査しました。
『日本数学者人名事典』小野崎 紀男/著 現代数学社 2009
p.222において「伊勢津藩士の子に生まれ、芳之助、惣五郎、のち方次郎と称し」とあります。漢字表記が異なっているため、確証は得られませんでした。
なお、「長崎海軍傳習所で数学、測量、航海術と学ぶ。」と記載されています。
『寰瀛記 小説柳楢悦』山下 悦夫/著 東京新聞出版局(制作) 2005
p.66において「柳芳二郎(理由は不明ながら柳は幼名を芳太郎と芳二郎を使い分けている)」とあります。こちらも漢字が異なっています。
『国史大辞典 14』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1993)、『三重先賢伝 復刻』(浅野 松洞/著 東洋書院 1981)、『津市民文化 1974年創刊号』(津市民文化編集委員会 1974)における「柳楢悦」についての記述を確認しましたが、「方二郎」について記載はありませんでした。
質問内容に書いていただきました「伊勢の津藩士・柳方二郎が崎陽執業中の雑記」について調べたところ、以下の資料に記載がありました。
『水路要報 = Hydrographic bulletin (104)』海上保安庁水路部 編・発行 1984(国立国会図書館デジタルコレクション送信館資料)
41コマ目から45コマ目(p.63-70)「柳楢悦氏のこと-初代水路部長の横顔-」のp.65に「柳の長崎海軍伝習所における公務記録(伝習日記)は」(中略)「焼失してしまったが、これとは別に、柳が長崎での日常雑事について記した「崎陽執業中雑記並びに蘭人雑話」が残されている(水路沿革史付録)」とあります。また、p.66に「伝習人姓名並ビニ学科」の簡単な解説があり、「長崎海軍伝習所に入所した伝習人の姓名・職名及び教習学科が記されている」と書かれています。
上記の「水路沿革史付録」とは以下の資料と思われます。
『水路部沿革史 附録 上』水路部 編・発行 1916(国立国会図書館デジタルコレクション送信館資料)
9コマ目(p.8)から「伝習人姓名並学科(旧幕臣)」が掲載されています。
なお、柳楢悦が記した記録を当館は所蔵しておりません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・福岡の郷土誌「筑紫史談」30「金子才吉事蹟(上)」P11 国会図書館デジタルコレクション9コマ左上
・長崎遊学者事典 平松勘治 渓水社 H11(Amazonオンデマンド)→柳方二郎は記載されていない
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000340523