レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230521
- 登録日時
- 2023/11/03 00:30
- 更新日時
- 2023/11/15 09:13
- 管理番号
- 30002305
- 質問
-
未解決
江戸時代前期(延宝年間)の伊勢国の刑罰について調べています。
現在、調べている江戸後期の資料に、延宝年間の伊勢での死罪について述べた後、「伊勢国はお国柄で死罪はすべて簀巻にしている」という記述があるため、1.実際にそういう事実があるのか 2.「お国柄」とは具体的に何を指すか について、関連する資料や論文などをご教示いただければと思います。
なお、「お国柄」については、「阿漕ヶ浦」の「(禁漁区で密漁を繰り返した)平治を簀巻にした」という伝説、伊勢は神域なので血の汚れを避けた、などが考えられるかと思います。ただ、公事方御定書制定以後には、伊勢で「打ち首」の事例がありましたので、血(死)の穢れについては神宮の門前である宇治・山田以外ではさほど意識されない?とも考えています。
- 回答
-
伊勢国の刑罰に関する資料で簀巻について書かれたものは見つかりませんでした。また、江戸期以前の刑罰に関する資料は見つかりませんでした。
確認した資料では伊勢国および神宮領内では公事方御定書を準用していることや、死罪(打ち首)の例があるなどの記述があるため、「すべて簀巻」は事実ではないと考えられますが、公事方御定書制定以前の例については確認できませんでした。
「お国柄」については、刑罰に関連しては神宮領内において「触穢制度」というものがあり、「磔、火罪、獄門」の死体を晒す処刑は避けられていたという記述がありました。
(調査した資料)
(1)『三重県史 通史編近世1』三重県/編集・発行 2017
「第三章 神宮領の近世 第四節 神宮領の特質」に「三 触穢制度の諸相」という項目(P448-453)があります。この中で穢れに触れた状態を「触穢」と称し、「速懸」で領域内での死を避ける方策がとられていることが説明されています。また「四 犯罪と諸事件」(P453-459)のなかに、「「磔、火罪、獄門」の死体を晒す処刑は神宮領では適用されず(中略)死罪にとどめられた」「触穢を避けるための措置」(P455)という記述があります。
(2)『伊勢山田奉行沿革史』橋本 石洲/著 雲夢園 1977
「刑罰については、江戸町奉行所と同一であり、江戸時代後期の[御定書]に依る」(P27)、「刑場は山田領の小野目・甫蔵主川・度会郡磯村と宇治領の地獄谷に在り、死罪其外御仕置者の首打役は御組同心が勤められ」(P32)とあります。
(3)『三重県警察史 第1巻』三重県警察本部警務部警務課/編集・発行 1964
「紀伊藩のほかは、いずれもおおむね幕府の『公事方御定書』を準用していた。」(P380)
P411からの「刑の適用」で各藩の刑について記載があります。津藩は死刑では武士は打ち首・切腹、一般民は火罪・磔・梟首・打ち首とあります。桑名藩では「斬罪・獄門は十二月の末に行うことになっていた」という記述があります。山田、松坂については刑場の場所についての記載のみで、方法については書かれていませんでした。
P415からの「刑罰の種別」では津藩での火罪、逆懸(さかさはりつけ、逆さまにつりさげ)の事例と、獄門斬罰・死罪の方法等が記載されています。
『三重県警察史』は、国立国会図書館デジタルコレクションで図書館向けデジタル化資料送信サービスとして公開されています。
(4)『伊勢市史 第3巻(近世編)』伊勢市/編集・発行 2013
「第八章 災害と犯罪、紛争 第二節 犯罪と処罰」に、天明五年(1785)の宇治館町神照寺への押し込み強盗の事例で引き回しの上死罪となったことについて書かれており、「強盗の頭取は獄門との定めだが、神宮領では磔・火罪・獄門などの死体を晒す処罰を避けているため、一等軽減した」とあります。(P625)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
-
『江戸の刑罰』『江戸時代の罪と刑罰抄説』「速懸!近世宇治・山田における葬送儀礼」などを参照。三重県史、伊勢市史などは未読。
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000340512