レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/07/06
- 登録日時
- 2016/07/29 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:45
- 管理番号
- M16070611180188
- 質問
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岡山にあった西洋料理店・浩養軒の開店はいつか。
- 回答
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デジタル岡山大百科郷土情報データベースで検索すると、浩養軒は、「浩養軒(西洋料理)後楽園内」とある(『岡山市写真帖』1926)。資料①『後楽園史 通史編』によれば、天瀬に本店があったが、来園者の便宜を図って招致し、明治43(1919)年1月1日、現在の後楽園内福田茶屋あたりに、奥山朝恭が開店したとある。その後、西外園の整備計画により、昭和3(1928)年11月10日から、西外園に移り営業を続け、昭和20年の岡山空襲での戦災も免れたが、昭和44年1月4日に火災消失した。その後、再建の申請が出されたが、県立博物館構想との関わりの中で、両者を一連のものとして設計し、レストラン部分を浩養軒に貸与することに決定。昭和46年9月から営業していたが、極度の経営不振に陥り、昭和58年5月31日に廃業した。
資料②『岡山県大百科事典』、資料③『岡山県歴史人物事典』によれば、奥山朝恭(1858-1943年)は、江戸出身の作曲家で岡山師範学校などで音楽教師を務めた。資料②『岡山県大百科事典』の奥山朝恭の項目では、浩養軒は、1906(明治39)年、岡山市天瀬に開店、資料③『岡山県歴史人物事典』の同項目では、1904(明治37)年の開店とある。また、岡山の郷土史家・岡長平氏の書いた資料④『おかやま今昔 話の散歩』、資料⑤『ぼっこう横丁 岡長平著作集5』にも、浩養軒についての記述がある。資料④では、(明治)34年の暮れとある。資料⑤では、実際に浩養軒の開店に熱心だったのは、奥山の妻で、開店は、明治39(1906)年5月1日で、明治神宮外苑の青山練兵場で、日露戦争凱旋大観兵式が挙行された翌日であるという。
昭和44年火災消失を報道した資料⑥『山陽新聞夕刊』昭和44年1月4日紙面によると、明治39年岡山市天瀬で開業した岡山県下のレストランのなかでは一番のしにせで、現在地では、昭和2年から営業しているという。なお、当時の社長は奥山清(68歳)と報じられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業 (670 9版)
- 参考資料
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資料①『後楽園史 通史編』岡山県郷土文化財団,2001,p533-535
資料②『岡山県大百科事典』山陽新聞社,1980
資料③『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社,1994
資料④岡長平(1890-1970)『おかやま今昔 話の散歩』日本文教出版,昭和34,p113
資料⑤岡長平(1890-1970)『ぼっこう横丁 岡長平著作集5』岡山日日新聞社,昭和52,p370-373
資料⑥『山陽新聞夕刊』昭和44年1月4日,p1
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資料①『後楽園史 通史編』岡山県郷土文化財団,2001,p533-535
- キーワード
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- 浩養軒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2016070611131680188
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生
- 登録番号
- 1000195381