レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年10月18日
- 登録日時
- 2007/10/18 09:55
- 更新日時
- 2014/01/18 13:04
- 管理番号
- 7783
- 質問
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解決
刀剣で知られる岐阜県関市で、製品の中心が日本刀からナイフに移行した過程
- 回答
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「日本地誌 第12巻(岐阜県・愛知県)」(日本地誌研究所/編 二宮書店 1969年発行)の
関の刀剣鍛冶の刃物工業への変遷に関する記述(p456)をまとめると、次のようになる。
・江戸時代に入り世が太平になるにつれ、刀剣の需要が激減。刀工の中には他業への転向、あるいは
鍬、鎌など農具や包丁、かみそりなどを製造するものが生じた。
・明治9(1876)年の廃刀令はさらに刀剣鍛冶を斜陽化させた。
・明治20(1887)年、福地広衛門が、輸入品をまねてポケットナイフの製造を始め、
伝統的技術を金属工業に生かすこととなる。
・その後、明治、大正、昭和と関の刃物工業は発展を遂げ、生産品はナイフ類を中心に
大工道具、農業用利器、包丁、はさみ類から洋食器、裁断機、安全かみそり、替え刃、時計器具など
多くの品種を生産するにいたり、海外進出もめざましいものがあった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 金属製品 (581 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 刃物類
- 照会先
- 寄与者
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- 岐阜県図書館
- 備考
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以下の資料に近代以降の関刃物産業の動向が記されていとの情報が、岐阜県図書館から寄せられた。
1 『新修 関市史 刃物産業編』(関市,1999)…p.435より「近現代の刃物産
業の成立と展開」、統計資料など。
2 『関の刃物の歴史』(日本輸出刃物工業組合,1984)
3 『伸びゆくまち関市 美濃の刀剣年表』(関市教育委員会,1990)
資料1には、関の福地広右衛門がポケットナイフの製作に成功したのが明治21年
(p.1024)、ポケットナイフの生産が盛んになるのは明治24年ごろ(p.114年表)とある。
また、資料2に掲載されている昭和13年の関打刃物同業組合の生産高は、下記の
とおり。
ポケットナイフ 270,200ダース 218,550円
小刀類 562,300 本 56,230円
なお、上記3冊は、香川県立図書館未所蔵である。
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000038227