レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月10日
- 登録日時
- 2012/12/28 10:30
- 更新日時
- 2012/12/28 10:45
- 管理番号
- 千県中千葉-2012-13
- 質問
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解決
鋸南出身で産婆学校を創設した高梨美津について、自伝や詳細な生い立ちの分かるような資料を探しています。
- 回答
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1.『千葉県女性人名辞典』p103-104に記載されています。
この資料の末に参考資料として次の2~4の資料が掲載されていました。
2.『千葉市に輝く人びと』p244に養女「高梨ちせ」についての記載がありますが、高梨美津についてはみあたりません。
3.『房総展望 5巻-11号 』p14「房総人文記 13」(林天然) 2行あるのみ。
4.『随聞随筆総房人物論誌 2』p16-17にあります。
5.『千葉県の先覚』p101に、姪で養女の「高梨ちせ」について記述があります。
このほか、鋸南町の出身なので下記の資料を確認しました。
6.『鋸南町史 通史編 改訂』p1255「高梨安節と高梨美津」に少しだけ掲載されています。他の資料では、高梨ちせが養子となっていますが、この資料では、養嗣子の鎮があとを継ぎ、後に清(美津の甥-兄の子)の三男、三郎が養子となった、となっています。また、姪のちせについても触れていますが、養女となった記載はなく、産婆学校の後継者として記載されています。
また、千葉産婆学校については、次の2冊に記載がありました。
7.明治24年発行の『千葉繁昌記』p21に千葉産婆学校について数行の記述があります。
8.『千葉県紳士名鑑』には、p120千葉高等産婆学校広告に「本校の起源と校主の経歴略々左の如し」とあり、明治19年に市原の2郡に産婆講習会を設け生徒60余名を教授、同21年に東葛飾郡においても同講習会、同年8月に従前の講習所を千葉産婆学校と改称等、十数行の記述がありました。
- 回答プロセス
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郷土の人名辞典、出身地である鋸南町、学校があった千葉市、市原市の地史を調査。
また、『千葉県教育史 巻3』(青史社1979)、『千葉市教育史 通史編 上』(千葉市教育委員会 2000)の調査。『鋸南町史』からは人物に関して記載あり。『千葉市教育史』では、産婆学校があったことのみ記載あり。
- 事前調査事項
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◆依頼元館による調査済資料
・「房総人名辞書」(千葉日報社編 国書刊行会 1987)p237~238『たかなしみつ』
・「千葉県の歴史 通史 近現代1(県史6)」(千葉県史料研究財団編 千葉県 2002)p969「千葉産婆学校と高梨美津」
・「村の医者どん」(館山市立博物館 2008)p38
〔インターネットで確認〕
・「総房人物論誌 第2編」(野村国五郎著 博聞館1893)p16~17『高梨美津』
国立国会図書館近代デジタルライブラリーより
・「日本博覧図」の『私立千葉産婆学校』
千葉県立中央博物館デジタルミュージアムより
〔記述を見つけることができなかった資料〕
・『千葉県教育百年史 1 通史編 明治』(千葉県 1978)
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 婦人科学.産科学 (495 9版)
- 参考資料
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- 1.『千葉県女性人名辞典』(新羅愛子著 青史社 1984)(9200303931)
- 2.『千葉市に輝く人びと』(千葉市教育委員会編 1970)(9200303931)
- 3.『房総展望 5巻-11号 』(房総展望社)(9200303931)
- 4.『随聞随筆総房人物論誌 2』(博聞館 1893)(9200303931)
- 5.『千葉県の先覚』(千葉県企画部県民課 1973)(9200301641)
- 6.『鋸南町史 通史編 改訂』(鋸南町史編さん委員会編集 1995)(9200270634)
- 7.『千葉繁昌記』(君塚辰之助著 千葉市教育委員会 1964復刻)(9200276585)
- 8.『千葉県紳士名鑑』(多田屋支店 1902)(9200301605)
- キーワード
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- 千葉県-鋸南町(キョナンマチ)
- 高梨美津(タカナシミツ)
- 千葉産婆学校(チバサンバガッコウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000117572