1.当館では所蔵しておりませんが『千秋太后公式ガイドブック』(TOKIMEKIパブリッシング 2010.10) が出版されており、大阪市立中央図書館、摂津市立図書館、茨木市立図書館、枚方市立図書館、東大阪市立図書館が所蔵しています。内容については確認しておりません。
2.これも当館では所蔵しておりませんが、『韓国ドラマ時代劇王16』(TOKIMEKIパブリッシング 2010.11)は「「善徳女王」「千秋太后」「イ・サン」「鉄の王キム・スロ」の4大時代劇を徹底特集」と書かれています。この図書は茨木市立図書館、摂津市立図書館が所蔵しています。
3.当館では『소설 천추태후(小説千秋太后)』(강병상/지음 아름다운사람들 2009.1)<929.1/473F>を所蔵しています。日本語訳はまだ出ていないのではと思われます。
4.そのほか千秋太后について書かれた図書を紹介いたします。
1)『朝鮮の歴史がわかる100章』(朴埌鳳/著 明石書店)<221/230N>p.104から高麗の記述があり、地方豪族の統制のために太祖王建は「地方豪族と政略的な婚姻により絆を結ぶ、いわゆる結婚政策を用いた。王建は全部で六人の王后と23人の夫人をおき、母違いの自分の息子と娘を結婚させて、二重三重の姻戚関係を結んだ」とあります。
2)『韓国の歴史を知るための66章』(金/両基著 明石書店) <221/307N>p.112には「高麗では穆宗(第7代)の母である千秋太后と臣下の金致陽が不倫関係となり、国政を牛耳ろうとする事件が起こった。これに怒った西北面都巡検使の康兆が軍を率いて金致陽一派を除いたが、勢いに乗じて穆宗までも廃位させてしまった」とあります。
3)『高麗史第三』(国書刊行会)<221/T3/1>p.4に「穆宗年巳十八太后摂政居千秋殿世號千秋太后輿金致陽通而生子欲以其嗣王位時....」の記載があり、ほかの資料もこの文献を基に書かれています。
4)『朝鮮史 第三編第一巻』(朝鮮史編修会/編 朝鮮総督府 1932.12)は高麗の太祖19年から文宗38年までの出来事が綴られた資料です。この中の穆宗7年の6月に「千秋太后皇甫氏、金致陽ト通ジテ子ヲ生ミ(後略)」の記述があります。
5)『고려시대의(后妃)』(高麗時代の后妃)<TK221/103>p95、96に千秋太后の時代について書かれています。
6)『朝鮮人名辞書』(朝鮮総督府 1937 1977復刻)p.1779の「穆宗」の項目に「母 献哀太后皇甫氏」とあり、「六年太后外族金致陽と通じて子を生み、王の後と為さんと謀り、大良君?を忌み、逼りて僧と為す」とあり、乱の概要が説明されています。
7)『年表で見る韓国の歴史』(金徳珍/明石書店)<221/270N>p.87に「穆宗が即位すると、彼の生母・千秋太后が摂政をしながら、外戚である金致陽と私通して、私生児を産み、彼を穆宗の後継者にしようとした。...穆宗は太祖の孫である大良君を後継者にしようと、西北面兵馬使、康兆に開京護府を命じた。しかし康兆は反乱を起こして入京し、金致陽と千秋太后一団を排除した後、穆宗まで排して大良君を即位させた。彼がすなわち顕宗である。」
8)web に「韓国ドラマ その12 千秋太后(チョンチュ・テフ)」あり。