レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20210520
- 登録日時
- 2024/01/11 00:30
- 更新日時
- 2024/01/11 00:30
- 管理番号
- 0001004255
- 質問
-
解決
ブクブク茶の起源や広がり方について書かれた資料を知りたい。
- 回答
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以下の資料を案内した。
起源については、『中山伝信録』の記述により琉球国時代から既に飲まれていたとする説や、『南島八重垣』の記述により明治頃からとする説があるものの、はっきりとしたことはわかっていない。
広がり方についても、那覇のみで飲まれていたとするものや、言葉や歌が残されていることから首里やそこにとどまらない範囲にも広まっていたとするものなど諸説あり、はっきりしたことは不明である。
①
『南島論攷』(東恩納 寛惇/著 實業之日本社 1941(昭和16).12)
p192-200「ぶくぶく茶考」の中で、p192に「琉球特有の茶道にぶくぶく茶と云ふのがある…琉球でも那覇だけの行事で、田舎は勿論の事、首里にもない。」と記載されている。
p193に「文献の示す所では、傳信録に、國中烹茶の法は…甌面に滿つるを度と爲す。とある…材料が同一である以上、この記事を以て、ぶくぶく茶の説明と見てよいであらう。さうすると、今のところではこの傳信録の記事がこの茶道の始見である。」と記載されている。
p200に「…博多商人等によつて傳來し、那覇を中心に行はわれた茶寄合風の點茶式、これが變化して、ぶくぶく茶となつたものであらう。」と記載されている。
②
『伊波普猷全集 第10巻』(伊波 普猷/著,服部 四郎[ほか]/編 初版 平凡社 1976(昭和51).3)
p161-164「ブクブクー ―琉球で行はれる一種の茶道―」の中で、p163に「首里市は丘陵の上にある都会で、水のいゝ所だが、その水を使つては、ブクブクーは絶対に立たない。だから、首里の貴族社会で、之を立てる時には、那覇からわざわざ水をもつていつた。那覇市でも、山の手の塩気のない井戸水では、やはり出来ない。さうかといつて、海岸に近くて、塩分の多い井戸の水では、勿論だめだ。その中間くらいのがちやうどいゝ…ブクブクーの那覇で起つたことは、疑ふ余地がないが、いつ頃どうして起つたかに就いては、文献の徴すべきものがない。」と記載されている。
p164に「…那覇には、慶長以後は、琉球監視の為に、薩摩の在番奉行が三人も駐在した…定期に彼等を招待して、盛宴を張つたが、時偶茶の会も開いたといはれる…思ふにかうした時、用水を違へたかどうかして、ぶくぶく泡が立つたのを、棄てるのが惜しいといつて、婦人たちが飲んで見ると、存外おいしいので、ブクブク―といつて含味したのが、いつしか流行し出したのであらう。」と記載されている。
③
『琉球ブクブク茶道』(田中 千恵子[ほか]/著、あけしのの会、1992.3)
p46-48「ブクブク茶のはじめの頃」の中で、p46に「文献の示すところでは、一七一九年尚敬王の冊封使正使海宝の副使をつとめた、徐葆光が…八ヶ月琉球に滞在、その復命報告書として翌一七二一年中国で開板した、「中山伝信録」にブクブク茶らしい記事がある。」と記載されている。
④
『ブクブクー茶』(安次富 順子/著、ニライ社、1992.6)
p57-64「ブクブクーの名称・伝播経路」の中で、p59に「いつごろから飲まれ、どこから伝わったかについては、まだ定説といったものはありません。」と記載されている。
p60に、在番奉行の茶会で偶然にできたという伊波普猷の説については「用水の取り違えをブクブクーの起こりだとするのは、あくまでも推定に基づくものですので、あまり決め手にはならないのではないでしょうか。」と記載されている。
p61に、博多商人が伝播したという東恩納寛淳の説については「当時博多にはブクブクーあるいはそれに類似したものがあったかというと、それは、この「ぶくぶく茶考」の中には書かれていません。」と記載されている。
p63に、『中山傳信録』の記載については「材料が一緒ということですが、「茶」に茶末と茶葉の違いがあり、また、細粉(細米粉)と煎り米の違いがあります。」と記載されている。
p65-68「那覇以外にはなかったのでしょうか」の中で、p67「伊計島」の項に「ぶくぶくの御茶や 旅の嘉利吉なむん 立てて廻らしば もとの泊 という歌があります…大正年代以前の生まれの人たちは、この歌をよく知っており…実際に伊計島の人たちの前でブクブクーを立ててみましたが、誰ひとりこの豊かな泡のブクブクーを見たことはないとのことでした。」と記載されている。
p68「宮城島」の項に「…隣の宮城島にも行って調べたところ、ここでも同じ歌が見送りの歌としてうたわれていました…ブクブクーそのものを誰ひとり知らないことからすると、歌の中の「ブクブクーのお茶」が、本書で取り扱っているブクブクーと同一かどうか知る手だてはなさそうです。」と記載されている。
⑤
『母と娘が伝える 琉球料理と食文化』(新島 正子/著 琉球新報社 2020(令和2).4)
p126-127「ブクブクー茶」の項目で、p127に「ブクブクー茶が琉球王朝で飲まれていたという説がありますが、その根拠は冊封使の琉球見聞録(『中山傳信録』徐葆光)に基づいています…蓋つきの茶碗が描かれていて、今のような豊かな泡は表現されていません。また、この筆者はこのお茶をブクブクー茶とも言っていません。ですから、この見聞録の記述をブクブクー茶だということにはかなりの無理があります。また、琉球王朝でブクブクー茶をたてたり、ブクブクー茶道があったという資料もないため、琉球王朝にブクブクー茶があったとはいえないでしょう。今、私たちがブクブクー茶といっているものは明治、大正、昭和初期の人が飲んでいたものと同じ豊かな泡を飲むお茶で、王朝の飲み物ではなく庶民の飲み物といえます。」と記載されている。
⑥
『東アジア文化交渉研究 第2号[2009年]』(関西大学文化交渉学教育研究拠点/編集 関西大学文化交渉学教育研究拠点 2009(平成21).3)
p289-311「沖縄における茶文化調査の概要と今後の課題」(大槻 暢子[ほか]/著)
p295に「ブクブク茶は、かつて日本各地に分布していた振茶の一種である。振茶とは、茶碗・桶・木鉢などに番茶等を汲みいれ、茶筅を振ることによって、茶を泡立てて飲む習俗である。琉球における振茶の習俗については、1757年土佐に漂着した琉球船からの聞き書きである『大島筆記』に「年輩の婦人は煎茶を振りて飲む事、日本田舎の如し。」(『大島筆記』人物習俗)とみえる。また明治前半の首里方言を収める『南島八重垣』には、「ブクブクーヂャー」として、「泡茶也。昔は盛んに行はれたるよしなれども、今は稀也。」とある。このことから、近世後半期にはブクブク茶が飲まれていたと考えられる。伊波普猷、東恩納寛惇によると、ブクブク茶は那覇の習俗と記すが、『南島八重垣』の記述から首里においても広く行われていた可能性が高い。さらに、伊計島や宮城島において見送りの歌として「ぶくぶくの御茶や 旅の嘉利吉なむん 立てて廻らしば もとの泊」という歌が歌われていた。以上より、琉球=沖縄におけるブクブク茶やそれに連なる振茶の習俗は、首里・那覇にとどまらない範囲にも広まっていたことが推測される。」と記載されている。
⑦
周縁の文化交渉学シリーズ1『東アジアの茶飲文化と茶業』(関西大学文化交渉学教育研究拠点 2011)
p107-117「沖縄におけるブクブク茶の現状と歴史」(大槻 暢子/著)
p111-112「二 ブクブク茶についての理解」の項で、過去の資料から、伊波普猷、東恩納寛惇、安次富順子、田中千恵子らのブクブク茶の起源に対する見解がまとめられている。
p116に「ブクブク茶は…茶筅などの道具を使用することからは、茶道との接点が考えられる。しかし歴史的な背景からみるとブクブク茶の大きな一つの特徴は、さんぴん茶などの中国茶や番茶などの普段に飲む茶を使用するところにある…ブクブク茶が文献上から確認できるのは、明治前半の首里方言を収めた『南島八重垣』に「ブクブクーヂャー」として「泡茶也,昔は盛んに行はれたるよしなれども,今は稀也,」との記述である…琉球王朝で用いられた茶道は、その政治的な性格から抹茶を用いた日本の茶道であり、抹茶以外のさんぴん茶等の中国茶を立てる発想が出てくることは難しいと思われる。ブクブク茶はさんぴん茶など琉球=沖縄で好まれた茶を用い、これまでも言われているように主に女性が台所などの裏で立てて出す茶であった。それは『大島筆記』の女性の習俗の記述からも推測できる。こうしたブクブク茶の成立には、18・19世紀の進貢貿易における大量の中国茶葉の流入という背景もあわせ考えることが重要である。琉球=沖縄の人々の嗜好にあった茶が、広い階層に入手できるような背景が存在してこそ、ブクブク茶の成立する要素が出そろうように思われる。」と記載されている。
⑧
『知られざる琉球の歴史文化 講演・講話・論文集 下巻』(宮里 朝光/著 御茶屋御殿復元期成会常任理事会/編 初版 御茶屋御殿復元期成会 2018.8)
p210-219「第3節 琉球の喫茶」の中で、p212-213に「泡茶(アーチャ)…茶筅で茶をかき混ぜるとぶくぶくと高く泡立つので女子供は、「ブクブク茶」という…一七一九(康煕五十八、尚敬王七)年、渡来した冊封副使徐葆光の『中山伝信録』に「国中烹茶の法は…甌面に滿つるを度と為す」とある…泡茶のことである…泡茶は、貴族社会で飲まれた琉球独特のお茶である。」と記載されている。
p213に「平穏な航海は、船首には白い泡が立ち船尾には泡が航跡として残った。泡茶は、白い細かな泡がぶくぶくと立つので、嘉例なものとして「ぶくぶく茶」といい、平穏航海を祈って飲み、使節の無事帰還を祈願した。ぶくぶく茶は、首里のみにあった。明治になり置県と共に那覇や田舎に伝わった。」と記載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 南島論攷 (p192-200「ぶくぶく茶考」)
- 伊波普猷全集 第10巻 (p161-164「ブクブクー ―琉球で行はれる一種の茶道―」)
- 琉球ブクブク茶道 (p46-48「ブクブク茶のはじめの頃」)
- ブクブクー茶 , ISBN 4-88024-156-3 (p57-64「ブクブク―の名称・伝播経路」、p65-68「那覇以外にはなかったのでしょうか」)
- 母と娘が伝える 琉球料理と食文化 , ISBN 4-89742-258-9 (p126-127「ブクブクー茶」)
- 東アジア文化交渉研究 第2号[2009年] (p289-311「沖縄における茶文化調査の概要と今後の課題」(大槻 暢子[ほか]/著))
- 知られざる琉球の歴史文化 下巻 (p210-219「第3節 琉球の喫茶」)
- キーワード
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- 民俗
- 食文化
- 飲料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000344500