レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/03/31 17:55
- 更新日時
- 2023/03/31 17:55
- 管理番号
- 0001003624
- 質問
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解決
仲島の大石近くに設置されている石川正通の歌碑について、これに書かれている「橋内」とはどのような意味か。
- 回答
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以下の資料を案内した。
資料より、「橋内」とは泉崎橋(現在の泉崎橋とは場所が若干異なる)よりも東側の泉崎や湧田あたりの地域を指していたものと考えられる。この地域は現在の泉崎1丁目周辺に該当する。
①
『南島風土記 沖縄・奄美大島地名辞典』(東恩納 寛惇/著 沖縄財団 1950.3)
p210 「泉崎」の項目に「もと泉崎村と稱へ、舊家世族聚楽し、泉崎橋を以て自ら別區を爲す故に、閭人自ら矼内(はしうち)と稱して…路に沿うて東半を湧田、西半を泉崎と唱へ…」とある。
p212上段 「泉崎橋」の項目に「久茂地川の口に架し、泉崎村の關門に當り、これより部内を橋内と稱する。元来村民の自矜に出づる稱呼である。」とある。
p212下段 「橋口」の項目に「此の地本来久茂地川を隔てて一郭を爲し、橋はその關阨に當つてゐる故に、これより内を橋内と稱するに對して…」とある。
②
『石川正通追想集』(米城 律/編,伊芸 滋/編 石川 澄子 1985.3)
p267 2行目 「帰琉届」(p265-268)の中で「…那覇の山の手、橋内の湧田に生まれて…」、9~11行目に「…天皇誕生日の泉崎の互助会で 橋内の誇りも高き泉崎昔も今も人美しく と、一首物して献じた。」とある。
③
『沖縄文学碑めぐり 郷愁とロマンへのいざない』(垣花 武信/著,東江 八十郎/著 那覇出版社 1986.9)
p28 「石川正通歌碑」に上記資料と類似の記載がある。
④
『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』(角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川学芸出版 角川グループパブリッシング(発売) 2009.9)
p154 「泉崎橋」の項目、右段上部に「泉崎橋の東詰を橋口といい、戦前はフナングヮ(船蔵)から仲島に通じる道、…」とある。
⑤
『昔の那覇と私』(島袋 全幸/著 若夏社 1986.2)
p53-54 「わが村意識」の中で「昔の那覇ン人は、那覇ン人どうしでも、おたがいに次のような俚諺を言い合って、よそ村の者をひやかしたようだ。東ボンボロー、西ハーガー、久米村(クニンダ)ビタタイ、湧田サバカチ、…湧田には、富裕な旧家が屋根門、石垣を構えたのが多く、「橋内」と誇っていたのに、それには目もくれず、湧田の先(地蔵堂の上方)に居たという、しがないサバ(草履)づくりで代表させたのが皮肉だ。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 南島風土記 沖縄・奄美大島地名辞典 東恩納 寛惇/著 沖縄財団 1950.3 (p210、p212、p212-213)
- 石川正通追想集 米城 律/編,伊芸 滋/編 石川 澄子 1985.3 (p267)
- 沖縄文学碑めぐり 郷愁とロマンへのいざない 垣花 武信/著,東江 八十郎/著 那覇出版社 1986.9 (p28)
- 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川学芸出版 角川グループパブリッシング(発売) 2009.9 (p154)
- 昔の那覇と私 島袋 全幸/著 若夏社 1986(昭和61).2 (p53-54)
- キーワード
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- 仲島の大石
- 石川正通
- 石川正通歌碑
- 橋内
- 矼内
- 泉崎村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331322