レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年2月8日
- 登録日時
- 2022/03/30 13:38
- 更新日時
- 2022/03/31 15:42
- 管理番号
- 0001003604
- 質問
-
解決
那覇市にあったという香港通りの場所について知りたい。
- 回答
-
下記の調査により場所が特定され、この道路は現在でも残っていることがわかった。
1. ①により「香港通り」に金城商事があったことがわかった。
2. ⑥に、金城商事の前身金城商店は那覇市樋川48-25(通称香港通り)にあったことがわかった。
3. ②④⑤⑦により、那覇市樋川48-25は新住居表示で壺屋1丁目7-9となることがわかった。
4. ②~④⑦により、「秋山商店」があった場所が新住居表示で壺屋1丁目7-9になり、旧那覇市樋川48-25であることがわかった。この前の通りが「香港通り」となる。
①
『私の戦後史 第5集』(沖縄タイムス社/編 沖縄タイムス社 1981.11)
pp. 213-246 「私の戦後史」(金城 カネ/著)に下記の記載がある。 (金城カネは金城商店・現金城商事創設者)
p232 「昭和二十四年に、那覇の香港通りに店を出した。」
p234 「昭和二十七年三月に合資会社に法人組織し…私が社長に就き、夫は常務。
p235 「この二社の砂糖を独占的に扱ったのが、”三羽ガラス”と呼ばれていた糸満の三人の女だった。幸陽商事の金城慶子氏と照屋商店の照屋ウシ氏、そして私である。香港通りで私の店の両わきにこの二つが並び、三店で競い合っていた。」
②
『住居表示旧新対照簿 昭和54年度』(那覇市建設部街路課/[編] 那覇市役所 [1979])
p254 「字樋川 番地48-25 新住所壺屋1丁目7-9 秋山商店」と記載されている。
③
『ゼンリンの住宅地図那覇市 '69』(沖縄住宅地図出版社/[編] 沖縄住宅地図出版社 1969.4)
p113 「樋川48(D-4のエリア)」に「秋山商店」が掲載されている(周辺には日進商会やダイヤ商会、ポリゴン商会、暁通関などがある)。
④
『ゼンリンの住宅地図 那覇市』(善隣出版社沖縄支社/編 1980.4)
p14「壺屋1丁目7-9(E-1のエリア)」に「秋山商店」が掲載されている(周辺には日進商会、ポリゴン商会など)。
⑤
『ブルーマップ 那覇市 住居表示地番対照住宅地図 東部』(民事法情報センター/[編] ゼンリン沖縄営業所)
p30右ページの那L-33-4-2のエリアで「壺屋1丁目7-9」の地番が「48-25」であることが記載されている。
【インターネット情報】
⑥
「総合食品卸問屋金城商事」ホームページ>「金城商事について・沿革」
→「1952年(昭和27)年3月 金城カネ個人商店、当社の前身である「合資会社金城商店」設立、資本金900,000円(B円300,000)。本店、那覇市樋川48-25(通称香港通り)。」と記載されている
http://www.kinjoshoji.co.jp/history/
⑦
「那覇市」公式ホームページ>トップページくらし>手続き市民参画>まちづくり都市計画>市街地整備地籍調査住居表示について>住居表示のページ>住所対照簿(旧新)
→「旧新住所対照簿」(p12)の「字樋川」から図書資料№②と同じ内容が確認できる。
https://www.city.naha.okinawa.jp/kurasitetuduki/collabo/tosi/tiseki/jyuukyohyouji/jyuukyohyoujinop/20171201.html
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 私の戦後史 第5集 沖縄タイムス社/編 沖縄タイムス社 1981.11 (p232、234-235)
- 住居表示旧新対照簿 昭和54年度 那覇市建設部街路課/[編] 那覇市役所 [1979] (p254)
- ゼンリンの住宅地図那覇市 '69 沖縄住宅地図出版社/[編] 沖縄住宅地図出版社 1969.4 (p113)
- ゼンリンの住宅地図 那覇市 善隣出版社沖縄支社/編 1980.4 (p14)
- ブルーマップ 那覇市 住居表示地番対照住宅地図 東部[平成17年] 民事法情報センター/[編] ゼンリン沖縄営業所 2005.3 (p30右)
- 「総合食品卸問屋金城商事」ホームページ 「金城商事について・沿革」 (2021年2月8日現在)
- 「那覇市」公式ホームページ 住所対照簿(旧新) (p14 「字樋川」(2021年2月8日現在))
- キーワード
-
- 香港通り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314323