レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/21
- 登録日時
- 2016/01/22 09:52
- 更新日時
- 2016/05/24 13:37
- 管理番号
- 埼熊-2015-116
- 質問
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解決
『明治初期の官員録・職員録 4』(寺岡書洞 1979)にある「東京裁判所」と「東京始審裁判所」は同じ場所にあったのか、所在地を知りたい。
- 回答
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地図資料により、明治14年頃と明治19-23年頃、東京裁判所と東京始審裁判所は同じ場所にあったことが確認できた。所在地は丸の内2丁目と思われる。
明治9年に府県裁判所に代わり、地方裁判所が設置された。東京の地方裁判所の名前は「東京裁判所」のままであった。明治14年に地方裁判所は始審裁判所となる。このことにより東京裁判所と東京始審裁判所は同じものであるといえる。
記述のあった以下の資料を紹介した。
備考に追記あり。(2016/03/16)
1 地図資料
(1) 明治14年頃の地図
《歴史的農業環境閲覧システム》(http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=13&lat=35.68428&lon=139.75339&layers=B0 農業環境技術研究所 2015/05/16最終確認)
「東京」を選択しそのまま拡大すると司法省の南に「東京裁判所」あり。
(2) 上記をうけて『明治前期測量2万分1フランス式彩色地図』における図郭名と測量年の確認
「第一軍管地方二万分一迅速測図原図覆刻版」(以下の資料に収録されている)
『明治前期手書彩色関東実測図 乾之部』(日本地図センター 1991)
『明治前期手書彩色関東実測図 坤之部』(日本地図センター 1991)
「大審院」「東京裁判所」が掲載されている005(東京4測板・乙)は、
図郭名:東京府京橋區近■(ぎょうにんべんに旁)市街(文字は右から左へ書かれている)
測量年:明治十四年二月(縦書き)
(3) その他迅速測図の確認
『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』(参謀本部測量局〔編〕 大日本測量 〔19--〕)
6枚目「麹町區」
地図中央部に司法省あり。その下部に小さいが「始審裁判所」とあり。上記「歴史的農業環境閲覧システム」に掲載されている「東京裁判所」と同じ場所にある。
「明治13年測量同19年製版同23年再版」とあり。明治19年-23年のものと考えられる。
2 参考図書
『江戸東京学事典』(小木新造〔ほか〕編 三省堂 1987)
p322 〈裁判所〉の項に、「(明治)八年五月大審院諸裁判所職制章程にもとづき(中略)、初審を担当する府県裁判所の東京裁判所(麹町区八重洲町)がおかれた。」とあり。
- 回答プロセス
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1 参考図書で調べる
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 3』(フランク・B.ギブニ-編 ティビ-エス・ブリタニカ 1984)
p295〈始審裁判所〉の項 「1880年7月17日公布の治罪法に応じて、翌81年10月6日、従来の地方裁判所が改称されたもの。本裁判所は、刑事裁判上は、治罪法第二編により、軽罪裁判の任にあたった。のち、裁判所構成法では、再び地方裁判所の名称に復した。」
東京地方裁判所と東京始審裁判所は同じもの。
『国史大辞典 9 たか―て』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1988)
p440〈地方裁判所〉の項に、「同(明治)15年治罪法により設置された始審裁判所」とある。
『国史大辞典 6 こま-しと』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)
p219-220〈裁判所〉の項 「その後、これを処理するために1局を設け、東京裁判所と呼ぶことにしたのである(12月)。(中略)ようやく、同8年4月になって大審院が設置され、司法省から裁判権が移され、大審院の下に上等裁判所(東京・大阪・福島・長崎の四ヵ所、福島はのち宮城(仙台)に移る)、府県裁判所(各都道府県に一ヵ所ずつ)が設置され、系統的に一貫した体制ができ上がった。そして、翌9年には、府県裁判所に代えて地方裁判所が置かれ、その管内に区裁判所を置くことになった。さらに同13年7月に治罪法が制定され、翌14年には、(中略)上等裁判所が控訴裁判所となり、名古屋・広島・函館の三ヵ所が増設され七ヵ所に、地方裁判所は始審裁判所、区裁判所は治安裁判所となり、それぞれ九十ヵ所、百八十一ヵ所に置かれた。」
『江戸東京学事典』(前掲資料)
2 一般書を調べる
『日本裁判制度史論考』(滝川叡一著 信山社出版 1991)
p9-10 「明治9年9月13日各府県に1の府県裁判所を置く制度を改め、全国に23の地方裁判所を置いた。(中略)この名称の変更は総称の変更であって、個々の裁判所の名称に「地方」を冠するのではなく、東京裁判所の名称は依然として東京裁判所であった。」
この記述より、明治9年以降の「東京裁判所」は地方裁判所の役割を担っており、『国史大辞典 6 こま-しと』(前掲資料)より、「東京(地方)裁判所」が「東京始審裁判所」となったことがわかる。
3 明治時代の住所ということで「迅速測図」を確認し回答の情報を得る。
- 事前調査事項
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『明治初期の官員録・職員録 4』(寺岡書洞 1979)
p136中段(明治十三年十月改正官員録中)に東京裁判所判事補として「世良重徳」あり。
p311下段(明治十四年七月改正官員録中)に東京裁判所判事補として「世良重徳」あり。
裁判所の順番を見ると、大審院、上等裁判所のあとに「東京裁判所」をはじめ地方の裁判所が続くので、「東京裁判所」は地方裁判所に相当すると思われるが、確定的な記述が見当たらない。
- NDC
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- 司法.訴訟手続法 (327 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『明治前期手書彩色関東実測図 乾之部』(日本地図センター 1991) , ISBN 4-314-10054-0
- 『明治前期手書彩色関東実測図 坤之部』(日本地図センター 1991) , ISBN 4-314-10055-9
- 『第一軍管地方迅速測図 二万分一地形図』(参謀本部測量局〔編〕 大日本測量 〔19--〕)
- 『江戸東京学事典』(小木新造〔ほか〕編 三省堂 1987) , ISBN 4-385-15384-1
- キーワード
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- 裁判所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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レファレンス協同データベース事業サポーター様より情報提供あり。以下、追加調査の本文。(2016/03/16)
既にご解決済みの事例ですが、国際日本文化研究センター(日文研)の所蔵地図データベースもあります。(要 Flash Player)
《所蔵地図データベース》(http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/menu.html 国際日本文化研究センター)
《日文研所蔵地図 地域別索引 東京都》(http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/index_area13.html)
下記の地図等がありました。
東京裁判所
「改正區分東京細圖 全」
内容年代(和暦):明治14
内容年代(西暦):1881
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1282.html
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/1084862.html
「明細改正東京新圖」
内容年代(和暦):明治18
内容年代(西暦):1885
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1362.html
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2148872.html
「改正實測東亰全圖」
内容年代(和暦):明治28
内容年代(西暦):1895
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1289.html
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/1084938.html
始審裁判所
「東亰全圖」
内容年代(和暦):明治33
内容年代(西暦):1900
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2394.html
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002862696.html
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187444