レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230612
- 登録日時
- 2023/09/19 00:30
- 更新日時
- 2023/12/09 15:48
- 管理番号
- 0000202411
- 質問
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解決
ワラスボの乾物を粉末にした佐賀の郷土料理「もくさい」について調べている。
1.食べている地域はどこか。
2.食べ始めた時代はいつか。
- 回答
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御質問の件について、次のとおり回答します。
1.「もくさいを食べている地域」については、次の資料に記載がありました。
(1)『佐賀の郷土料理』 佐賀県栄養保健推進協議会 1984
p.21 川副町 料理の項目に「もくさい」あり。ふりかけとして市販されているとの記載あり。
(2)『郷土資料 第1輯』 小柳 佐八 1935
「佐賀県に於ける食の生活に関する考察」 佐賀県女子師範学校/編
p.111 一覧表に「魚貝・海草―其他―(88)もくさい―佐賀郡」の記載あり。
p.130 (88) もくさい (佐)南川副、西川副
(3)『有明海,玄海,海産動物』 高木 正人/編 佐賀県立図書館 1963
p.61 ワラスボ (前略)佐賀の南部、筑後柳河ではこれを乾燥させて粉として食用にする美味である
2.「もくさいを食べ始めた時代」については、当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では、確認できませんでした。
参考として、ワラスボを食べたおおよその時代の記載がある以下の資料を御紹介します。
(4)『芦刈町史』 芦刈町史編さん委員会/編 芦刈町 1974
p.625-627 佐賀の十代藩主、鍋島直正(閑叟公)は幕末の名君と言われ、(中略)一切のぜいたくや無駄を省き、「食べられるものはなんでも」とムツゴロウ、ワラスボ、ガンツケなどが、愛好されて最上のご馳走になったという。
(5)『有明海の漁撈習俗』 文化庁文化財保護部/編 平凡社 1972
p.16 小城郡芦刈村では(中略)もともとこのワラスボは食べていなかったが、明治年間に古賀甚吉という人が初めてこれを食べた。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219)
- 食品.料理 (596)
- 参考資料
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(1)『佐賀の郷土料理』 佐賀県栄養保健推進協議会 1984
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070678325-00 -
(2)『郷土資料 第1輯』 小柳 佐八 1935
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070738256-00 -
(3)『有明海,玄海,海産動物』 高木 正人/編 佐賀県立図書館 1963
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070778009-00 -
(4)『芦刈町史』 芦刈町史編さん委員会/編 芦刈町 1974
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002635999-00 -
(5)『有明海の漁撈習俗』 文化庁文化財保護部/編 平凡社 1972
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I003091062-00
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(1)『佐賀の郷土料理』 佐賀県栄養保健推進協議会 1984
- キーワード
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- もくさい
- ワラスボ
- 郷土料理
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000338837