レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月14日
- 登録日時
- 2014/03/20 11:16
- 更新日時
- 2014/03/20 14:07
- 管理番号
- 千県中千葉-2014-6
- 質問
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解決
廃藩置県時、千葉県の県庁所在地として佐原が候補にあがっていたと聞いたが、事実はどうか。地元ではよく聞く話である。
- 回答
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佐原が千葉県の県庁所在地候補になったとの記述はみつかりませんでした。
千葉県は明治6年に木更津県と印旛県が合併して設置されていますが、佐原は当時新治県に属していました。その後新治県が廃止され、佐原を含む香取郡などが千葉県に編入されるのは明治8年のことです。
千葉県の県庁所在地は明治6年の成立当初から現在の千葉市中央区におかれていたため、後から編入された佐原が千葉県の県庁所在地候補になる可能性は低いと思われます。
『佐原市本宿の歴史と民俗』【資料1】に佐原が明治3年に宮谷県の県庁所在地候補になったとの記述があるため、このあたりの出来事が混同されて伝えられている可能性があります。ただし、【資料1】の記述の出典を調べると、佐原は宮谷県の「県庁」ではなく「出張庁」の候補だったようです。
【資料1】p29に「明治三年十一月、宮谷県は、同県の支配地(上総下総常陸の三国に跨がる)の中心に位置し、交通の便がよく、商業地である佐原村を同県の支配下に移し、ここに県庁を置きたいと明治政府に上申した。この上申は明治政府より「村替転庁ノ儀ハ難相成」と指示され実現しなかったが、佐原村の当時の役割を判断できよう。」との記述があります。
註には「佐原村ヘ移廳ノ儀伺」(『公文録』<国立公文書館所蔵>自戊辰至庚午各縣公文八-四三)とあり、こちらが出典のようです。
「佐原村ヘ移廳ノ儀伺」は、国立公文書館デジタルアーカイブで内容を確認することができます(http://www.digital.archives.go.jp/)。
また、同じ資料は『千葉県史料 近代篇明治初期一』【資料2】「宮谷県歴史」の節p257-258に収録されており、こちらでも内容を確認できます。
資料を確認すると、宮谷県管轄の常陸国河内・行方・鹿嶋三郡は宮谷県の県庁から遠いため、当時佐倉藩の支配下にあった佐原を宮谷県の支配下に置き、出張庁を設置したいとの内容で、「県庁」を置きたいとの内容ではありませんでした。
また、国立公文書館デジタルアーカイブには、明治4年4月の「同宮谷県ト管轄地交換」(請求記号:本館-2A-024-08・太草00069100 件名番号:053)の文書も収録されており、最終的には佐倉藩佐原村と宮谷県吉岡村他三ケ村との交換が認められたようです。
『角川日本地名大辞典 12 千葉県』【資料3】によると、宮谷県は、千葉県の前身の一つで、明治2年2月9日から明治4年11月13日まで存在し、以後木更津県と新治県に分割されています。地域的には各藩領分を除く安房・上総と下総国匝瑳・海上・香取3郡、常陸国河内・信太・行方・鹿島4郡を管轄していました。県庁は山辺郡大網宿宮谷の本国寺に仮庁舎を置いたとあります。
(インターネットの最終アクセス:2014年3月1日)
- 回答プロセス
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『千葉県の歴史 通史編 近現代1』等で千葉県の成立状況について確認。『香取郡誌』、『佐原市史』、『佐原町誌』等には関連の記述なし。旧佐原市の歴史関係の棚をブラウジング、【資料1】により宮谷県の県庁候補になっていたことが判明。【資料1】の出典資料を国立公文書館デジタルアーカイブ、また府県歴史が収録されている【資料2】で確認したところ【資料1】の記述の誤りに気づいたため再度調査。宮谷県について【資料3】確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『佐原市本宿の歴史と民俗』(千葉県立房総のむら 1992)(9200287453)
- 【資料2】『千葉県史料 近代篇 明治初期一』(千葉県 1968)(9200263596)
- 【資料3】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(角川書店 19849)(9200306648)
- キーワード
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- 千葉県-香取市-佐原
- 廃藩置県
- 県庁所在地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000150962