レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月15日
- 登録日時
- 2022/09/28 18:15
- 更新日時
- 2022/09/28 18:15
- 管理番号
- 9000035521
- 質問
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解決
武田勝頼が自刃した際に、殉死した侍女の名前を知りたい。
『武田氏滅亡』(平山 優/著 KADOKAWA 2017)pp.680-681に殉死者の一覧があるが、ここに挙げられている侍女の名前の出典を知りたい。
- 回答
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『東山梨郡誌』及び『大和村誌』に「殉難女子の法名」が記載されており、武田勝頼に殉死した侍女16名の法名、父兄、実名が記録されている。法名については、「甲陽軍鑑」が元になっているようだが、父兄、実名については平山次郎兵衛所蔵の過去帳によるとされ、その信憑性について疑問を投げかけている。
『武田氏滅亡』(平山優/著 KADOKAWA 2017)の殉死者一覧の出典として、「景徳院過去帳」が挙げられているが、これが『東八代郡誌』『大和村誌』の出典である平山次郎兵衛所蔵の過去帳と同一かどうかはわからない。
- 回答プロセス
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1.質問の出典である『武田氏滅亡』を確認。
→ 殉死者の一覧表は「景徳院過去帳」「同位牌」(景徳院蔵)、「甲斐国志」をもとに作成したと書かれている。
2.『甲斐国志』を確認。
→ 侍女の名前までは書かれていなかった。
3.『大和村誌』上巻で武田勝頼の最後について書かれた箇所を確認。
→ 殉死者について詳細は書かれていなかった。
4.武田氏関係の人名辞典類を調査。
→ 侍女の名前は見つからなかった。
5.「景徳院過去帳」が収録されている資料を探す。武田勝頼について書かれた資料を調査。
→ 『山梨県史 資料編』『甲州古文書』『武田史料集』 『戦国遺文 武田氏編』に収録なし。
6.武田勝頼関係の資料を確認。
→ 『定本 武田勝頼』に各史料に記された殉死者をまとめており、景徳院にある碑に殉死した侍女の法名があることがわかったが、本名までは書かれていない。他の史料にも侍女の名前は見当たらない。
「甲斐路」No.45(武田勝頼特集号)p.31にも景徳院の石碑の碑面が記されているが、やはり、法名のみだった。
7.インターネット調査
→ 殉死者について書かれたサイトがいくつか見つかり、その中に『大和村誌』を出典に挙げているものがあった。
→ 再度、『大和村誌』を確認したところ、下巻の大和村内の寺院について書かれた節に、景徳院の項があり、その中に「殉難女子の法名」として法名と父兄、実名の記述があった。ただし、位牌には法名しか書かれておらず、父兄、実名については平山次郎兵衛所蔵の過去帳によるものとされ、「最も怪し」と書かれている。なお、これらは『東八代郡誌』からの抜粋。
→ 『東八代郡誌』を確認。『大和村誌』と同じ記述。
- 事前調査事項
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平山優『武田氏滅亡』pp.680-681
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 参考資料
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平山優 著 , 平山, 優, 1964-. 武田氏滅亡. KADOKAWA, 2017. (角川選書 ; 580)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027981285-00 , ISBN 9784047035881 (pp.680-681) -
山梨日日新聞社/編 , 山梨日日新聞社. 大和村誌 下巻. 大和村, 1996.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005554240-00 (pp.665-666) -
山梨教育会/編 , 山梨教育会. 東八代郡誌 復刻. 名著出版, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005732260-00 (pp.863-865) -
上野晴朗 著 , 上野, 晴朗, 1923-2011. 定本武田勝頼. 新人物往来社, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001367184-00 (pp.336-337) - 甲斐路 通巻45号 (p.31)
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平山優 著 , 平山, 優, 1964-. 武田氏滅亡. KADOKAWA, 2017. (角川選書 ; 580)
- キーワード
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- 武田勝頼
- 侍女
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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「勝頼公と運命を共にした長沢の乙女(山梨県北杜市高根町 杉田正一)」
http://shlibra.sakura.ne.jp/page4.html
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000321818