レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年08月05日
- 登録日時
- 2010/11/19 16:36
- 更新日時
- 2010/11/19 16:38
- 管理番号
- 9000006682
- 質問
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解決
「土佐日記」に出てくる「甲斐歌」とはどのようなものか。
- 回答
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甲斐歌という呼び名で伝わる歌は「古今和歌集」巻第20の東歌のうちの甲斐歌2種(1097番歌、1978番歌)、「後葉和歌集」巻第19の565番歌である。もともと甲斐国(山梨県)の民謡であったものが、宮廷に取り入れられ洗練され、甲斐歌と呼ばれるようになったのであろう。
- 回答プロセス
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1.『新編日本古典文学全集』第13巻 土佐日記(小学館 1995年)で土佐日記の当該事項を確認するとp19に「…漢詩ども、時に似つかはしきいふ。また、ある人、西国なれど甲斐歌などといふ」とある。「甲斐歌」について特に解説はない。
2.『日本国語大辞典』第3巻(小学館編集・発行 2001年)で「甲斐歌」をひくと、「東歌(あずまうた)の一種。甲斐国(山梨県)の民謡。風俗歌として「古今和歌集-二〇」に二首収めてある」とある。『和歌大辞典』(犬養廉ほか編集 明治書院 1986年)の「甲斐歌」の項には古今和歌集のほか、「風俗歌には「甲斐が嶺」と題して、六句形式の一〇九七の替え歌を載せ、また、承徳本古謡集には「甲斐風俗」と題して、「甲斐人の嫁にはならじ」という別の短歌を載せる。いずれも甲斐ぶりの歌として歌われたものと思われ、東北方言を留める歌も見られる」とある。
3.NDL-OPACの雑誌記事索引で「甲斐歌」を検索し、所蔵資料を確認。
・「『土佐日記』の旅-甲斐歌と旅前後の記事から」池田尚隆著(「国文学:解釈と鑑賞」1巻3号 至文堂 2006年3月)
→論文中に「甲斐歌」についての考察がある。甲斐歌という呼び名で伝わる歌は「古今和歌集」の1097番歌、1978番歌、「後葉和歌集」の565番歌であり、古今集の1097番歌が「楽章類語鈔」掲載の風俗歌によることから、甲斐歌は「もともと甲斐の民謡であったものが、宮廷に取り入れられて洗練され、甲斐歌の名で呼ばれるようになったのであろう」とある。
・「甲斐歌雑考」志田延義著(「山梨大学学芸学部研究報告」通号13 山梨大学学芸学部 1962年)
4.『山梨県史』通史編1 原始・古代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2004年)第10章甲斐国と国文学 第1節和歌と歌枕に「七彦粥と甲斐歌」の項がある。3の「『土佐日記』の旅-甲斐歌と旅前後の記事から」と同様の記述がある(同一著者)。
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 『日本国語大辞典』第3巻(小学館編集・発行 2001年) (p155)
- 『和歌大辞典』(犬養廉ほか編集 明治書院 1986年) (p147)
- 「国文学:解釈と鑑賞」1巻3号(至文堂 2006年3月) (p56-63)
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「山梨大学学芸学部研究報告」通号13(山梨大学学芸学部
1962年)
(p1-6) - 『山梨県史』通史編1 原始・古代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2004年) (p957-960)
- キーワード
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- 甲斐歌
- 東歌
- 古代歌謡
- 和歌
- 「土佐日記」
- 「古今和歌集」
- 「後葉和歌集」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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・「古今和歌集」1097番歌
かひがねをさやにも見しがけけれなくよこほりふせるさやの中山
・「古今和歌集」1978番歌
かひがねをねこし山こし吹く風を人にもがもや事づてやらむ
・「後葉和歌集」565番歌
かひ歌に、あひてあはぬ心を
かひがねのかひもなくまたあひもみずさやの中山さやはおもひし
・「楽章類語鈔」688番歌
甲斐が嶺を さやにも見しか や 心なく 心なく 横ほり立てる さやの中山
・NDL-OPACの雑誌記事索引でヒットした雑誌論文のうち「歌謡の寿命と甲斐歌」志田延義著 (「季刊文学・語学」通号51号 1969年03月)は未所蔵。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本文学(古典)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000073604