レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/11/26
- 登録日時
- 2015/10/08 00:30
- 更新日時
- 2015/10/08 00:30
- 管理番号
- 6001011601
- 質問
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解決
大阪の平野街道のルートを教えてください。
- 回答
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(【 】内は、当館の請求記号です。)
平野街道の起点という調査として回答させていただきます。
『新修大阪市史 第2巻』 新修大阪市史編纂委員会編集 大阪市 1988.3 【328/1845/#】 p555を見ますと、「平野の発展」という題の下に「平野は難波・天王寺と大和を結ぶ平野道(のち奈良街道)と平野川の接する辺り・・・」という記述があります。辞典・地名辞典での平野街道、平野道という文献はなく、資料も「奈良街道」の記述が多いようです。
まず、公的機関が出版した資料から見ますと、
『奈良街道』 (歴史の道調査報告書 第4集) 大阪府教育委員会 1989.3 【682.1/12N/4】に
「二、河内中北部の街道(東西道)」棚橋利光著があり、「(一)奈良街道」の記述では時代により「亀瀬海道」「大和街道」「和州街道」場所によっては「大坂道」、平野を通るので「平野道」「国分道」「柏原道」とも呼ばれたことが書かれており、起点は「河堀口」説をとっています。
次に、
『大阪市の旧街道と坂道』 旧街道等調査委員会編 大阪市土木技術協会 1985.3 【682.1/42N】に
「奈良街道」の項目があり、旧街道の起点を「大阪市東区天王寺 現浪速区恵美須町交差点」とし、経路を「逢阪-大道(河堀口)-新家村・・・」としています。ただし、「旧街道から現道路までの変遷」として「明治以前の古図を見ると、奈良街道の名称はまだ存在せず、平野道(大坂道)の道路名が記されている。『河内國繪圖』(宝永六年<一七〇九>刊)では、平野道の出発点を「大坂日本橋」とし、宝暦十三年(一七六三)刊の『攝州平野大繪圖』には「川堀口ヨリ平野マデ五十丁大坂道」とあり、『増脩改正攝州大阪地圖』(文化三年<一八〇六>刊)にも、河堀神社の南(現天王寺区大道三丁目)の地に、「河堀口」の明示があり、ここから東南へ「平野道」と記されているので、河堀口が大和へ向かう道の起点であったことも考えられる」としています。
さらに、個人の著作として
『大阪の街道』 (大阪文庫10) 神野清秀著 松籟社 1989.9 【682.1/6N】 では、明治20年刊の『大阪府統計書』を出典にあげ、恵美須町交差点を起点としています。
ということで、時代によってまた資料によってもさまざまな書き方や説があるようです。
また、平野街道全体のルートをお探しでしたら上記2つの公的機関発行資料には地図が付いています。
『大阪市の旧街道と坂道』は貸出可能、『奈良街道』はお近くの図書館までの貸出はできますので、ご希望の際はお近くの図書館へお申込みください。
[事例作成日:平成27年9月30日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 8版)
- 参考資料
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- 新修大阪市史 第2巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市
- 歴史の道調査報告書 第4集 大阪府教育委員会
- 大阪市の旧街道と坂道 旧街道等調査委員会編 大阪市土木技術協会
- 大阪の街道 神野/清秀∥著 松籟社
- キーワード
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- 平野街道(ヒラノカイドウ)
- 奈良街道(ナラカイドウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,地名・地域
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000182217