以下の関連資料を紹介した。
(1) 『大正過去帳』(資料1)
この資料には、詳しい経歴が記載され、「甲良家十代目棟全の息」と書かれている。名の読みは「みつかぶ」と振られている。
名の字使い及び読みについては、「盈株」を「盈林」、「みつしげ」あるいは「えいりん」としている『大人名辞典』(資料2)、『日本人名大事典』(資料3)の例がある。
(2) 『江戸城物がたり』(東京市立日比谷図書館 1929年3月発行 東615/004)の中の講演録「江戸城殿舎の建築と甲良家」(大熊喜邦述) p.32,33
日比谷図書館で甲良家の図面を入手した経緯についての記述があり、「此の図面の大部分を甲良家から譲られて持って居た所の大島家の老人のお話に依りますと」という文面がみられる。
(3)『江戸城―その歴史と構造―』(資料4)
前記の『江戸城物がたり』の記述に関する文があり、「なお文中に出てくる「大島家の老人」とは、甲良家の血をひく大島盈株(注:”みつもと”と振り仮名がある)氏のことで、」と書かれている。
また、都立図書館作成資料「甲良家関係ファイル」より、以下の論文も紹介する。
(4) 『建築雑誌』50輯609号(1936年2月発行)の論説「江戸幕府大棟梁甲良氏に就て」(田邊泰著)p.124 注4
「大島盈株は甲良七代棟政の子光棟(大島家を継ぐ)の孫にして幼時より甲良十代棟全について建築術を学び、甲良氏が明治維新に際して家職を廃するや、甲良建仁寺流第十二代を継承し、幕末より明治初年に於ける和風建築界に重きを為した。大正十四年二月十三日卒。齢八十四。」と記載されている。
(5) 『新建築』56巻14号(1981年12月発行)に記載の「日本建築家名鑑」(資料5)
大島盈株の項があり、「おおしま みつもと」と読みが記され、肖像と経歴が記載されている。
(6) 『日本経済新聞』1995年3月9日40面の記事、「新橋駅に江戸大工の粋―開設時、転車台造った親方・大島盈株に迫る」(沢和哉著)
大島盈株が新橋駅の建設も手掛けたことが記載されている。
(7) 『文化財修理報告書重要文化財江戸城造営関係資料(甲良家伝来)』(資料6)
「資料の伝来」の項に日比谷図書館に収まるまで、大島盈株が甲良家図面を保管していたことなどが記載されている。