レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年08月01日
- 登録日時
- 2022/12/22 14:38
- 更新日時
- 2023/03/31 16:33
- 管理番号
- 埼熊-2022-067
- 質問
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未解決
さいたま市の野田小学校に昭和29年9月に立てられた徳富蘇峰の言葉の入った石碑がある。石碑の「見沼ノ耕地ヲ脚下ニ眺メ霊峯富士ヲ遥カニ望ミ本村随一タル勝景地」という文言の出典を知りたい。
- 回答
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出典のわかる資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 自館目録を検索する。
(1)〈タイトル:野田小学校 & 資料区分:埼玉和書〉
『開校百年記念誌』(浦和市立野田小学校開校百年記念実行委員会編 浦和市立野田小学校開校百年記念実行委員会 1973)
p120「野田小学校校地校舎略図」に「忠魂碑」あり。それ以上の情報なし。
p124年表に石碑(忠魂碑)建設の記述なし。昭和29年当時は野田国民学校という名称だったことがわかる。
(2)(1)より〈タイトル:野田国民学校 & 資料区分:埼玉和書〉〈タイトル:徳富蘇峰 & 資料区分:埼玉和書〉で検索する。
2 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈徳富蘇峰 & 野田小学校〉〈徳富蘇峰 & 見沼〉で検索する。
3 《埼玉関係データベース》(https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=jal 埼玉県立図書館)を検索する。
(1)〈徳富蘇峰〉で検索する。
「岩槻町新和で忠魂碑を建設」『埼玉新聞 1954年5月30日 2面』あり。
野田小学校に関する記事なし。
(2)〈野田国民学校〉で検索する。
4 埼玉県内の広報を確認する。
(1)『広報埼玉』(埼玉県)
No.60(1954.8)からNo.64(1954.12)までを確認するが関連する記述なし。
5 旧武蔵国内の自治体史誌目次を〈野田小学校〉で検索する。
6 浦和市史を確認する。
『浦和市史 第4巻〔4〕近代史料編』(浦和市総務部市史編さん室編 浦和市 1982)
p12「翌15年には、蘇峰が氷川神社、野田鷺山、安行などを視察し、紀行文を書いているが」とあり。
以下「厚沢八郎日記」大正15年の記述あり。
p314 5月5日に「今日の新聞に去る2日蘇峰先生は奥様御同伴で氷川神社参拝、鷺山や安行を視察されたとの記事が見えた。」とあり。
p314 5月12日に「小説平凡中小狗の処を読んできかせる。蘇峰先生去る2日の紀行文が今日から掲載された。(後略)」とあり。
「厚沢八郎日記」の収録が昭和23年までのため昭和29年については確認できず。
7 6より大正15年5月に徳富蘇峰が書いた記事を探す。
(1)自館目録を〈国民新聞〉(蘇峰が創刊した新聞)で検索すると、復刻版がヒットするが明治期のもののみ。
(2)《埼玉関係データベース》(https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=jal 埼玉県立図書館)で〈徳富蘇峰〉を検索する。
「歴史人物風土記(65)野田のサギ山保護に尽くした厚沢八郎 名物のタワー建設 大きい徳富蘇峰の影響」『埼玉新聞 1984年9月10日 7面』
『浦和市史第4巻〔4〕近代史料編』と同じ記述あり。参考文献として『野田のサギ山二百五十年史』あり。
(3)『野田のさぎ山二百五十年史』(浦和市教育委員会 1975)を確認する。
金井安之助著「徳富蘇峰と永田家」(『むかしの馬宮 34』裏表紙 馬宮郷土史同好会 2016.4)
「文豪徳富蘇峰が「武総の野遊」と題して、氷川神社参拝や盆栽村訪問など東日(東京日日新聞)紙上に掲載したものである。」とあり。馬宮村佐村壮自生地の命名のために鑑賞に来たときのことを書いた記事。
質問に関係する情報なし。
(4)徳富蘇峰記念館のデータベース(http://soho-tokutomi.or.jp/db/shiryo/?l=30&c=0&q=&p=0&t=0 徳富蘇峰記念館)を検索する。
〈武総の野遊〉を検索し、4件がヒットする。
「東京日日・大阪毎日新聞(昭和8年5月19日) コラム(日日だより)「武総の野遊(一)大宮公園と桜草自生地」」
「東京日日・大阪毎日新聞(昭和8年5月20日) コラム(日日だより)「武総の野遊(二)旧家の面目」」
「東京日日・大阪毎日新聞(昭和8年5月21日) コラム(日日だより)「武総の野遊(三)普門院と農商学校」」
「東京日日・大阪毎日新聞(昭和8年5月24日) コラム(日日だより)「武総の野遊(四)牛島の藤と清水公園」」
イ〈見沼〉を検索するがヒットなし。
ウ〈毎日新聞 & 野田〉で検索すると4件該当するが、関連記事はなし。
エ〈毎日新聞 & 武蔵野〉で検索すると3件該当するが、関連記事はなし。
オ〈武蔵野〉で検索すると26件該当するが、該当資料所蔵なしのため確認できなかった。
8 《毎索》(毎日新聞社)で7の新聞記事を調べる。
昭和8年5月24日のコラム 「武総の野遊(四)牛島の藤と清水公園」」に「実は野田町をも一見したいと思うたが、それは他日に譲り、公園より一直線に野田町停車場に抵[ママ]り」との記述あり。
9 6より厚沢八郎について調べる
(1)「武総の野遊」の記事から「厚沢八郎日記」(『浦和市史 第4巻〔4〕近代史料編』)の昭和8年5月を確認する。
『浦和市史 第4巻〔4〕近代史料編』(浦和市総務部市史編さん室編 浦和市 1982)
p427 5月16日「蘇峰先生が馬宮村の桜草自生地に来られてその名をつけて下さる(後略)」とあり、新聞の記述と内容が一致する。
(2)自館目録を〈厚沢八郎〉で検索する。
『見沼 歌集 5周年記念号』(厚沢八郎編 浦和市立美園公民館 1977)
関連する情報なし。
『米寿 記念歌集』(厚沢八郎著 厚沢八郎 1977)
関連する情報なし。
(3)徳富蘇峰記念館のデータベース(http://soho-tokutomi.or.jp/db/shiryo/?l=30&c=0&q=&p=0&t=0 徳富蘇峰記念館)を〈厚沢八郎〉で検索する。
人物検索で「厚沢八郎」がヒットする。
備考に「野田村「平和記念塔」題字揮毫と撰文依頼」とあり。野田小学校の石碑との関連性は不明。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2020年7月31日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 徳富 蘇峰(トクトミ ソホウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物 言葉
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000326226