レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2003/11/09
- 登録日時
- 2004/03/06 19:49
- 更新日時
- 2004/03/06 19:49
- 管理番号
- 9000005126
- 質問
-
江戸時代の石巻から江戸までの海上航路を知りたい
- 回答
-
鹿島灘や房総沖を漕破する技術がまだ開発されてなかった頃は、石巻をでた船は、はじめは常陸の那珂湊、ややおくれて下総の銚子で川に入り、そこから内陸の水路と陸路を継いで江戸に入る東廻海運であった。1671(寛文11)年、幕府は河村瑞賢に水路の改良を命じた。この改良により、房総沖を迂回して相模の三崎、または伊豆の下田に出て、そこから西南風をまって江戸に入る瑞賢の道を通るようになった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 宮城県の歴史
- 宮城県史 9
- 宮城県史 2
- 図説宮城県の歴史
- キーワード
-
- 航路
- 東廻海運
- 瑞賢の道
- 江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 交通
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000001411