レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年06月11日
- 登録日時
- 2021/06/24 17:35
- 更新日時
- 2021/10/03 13:28
- 管理番号
- 2021-12
- 質問
-
解決
橋について、明治~昭和前期に発行された絵葉書を掲載した資料を作成中である。1~16の橋の完成年、架け替えの経緯、当時の写真やその説明がわかる資料はないか。
1 松山市・石手川に架かるコンクリート橋
2 松山市・石手川に架かる弓形トラス橋 桜木橋
3 松山市・重信川橋
4 松山市・お遍路橋
5 大洲市・肱川大橋
6 大洲市・長浜大杯
7 宇和島市・御幸橋 その1
8 宇和島市・御幸橋 その2
9 八幡浜市・明治橋
10 今治市・蒼社橋
11 四国中央市・川之江橋
12 西条市・加茂川橋
13 今治市大三島・水路橋
14 久万高原町・龍淵橋
15 ○○・岩堰橋
16 久万高原町・大除城橋
- 回答
-
1 【資料10】 「新立橋」と思われる。
巻頭図版 写真「昭和11年6月15日の開通式を迎える新立橋」がある。
巻頭図版 石崎重利版画「石手川と新立橋」がある[明治21年に架けかえられた木製の蓬莱橋(新立橋)]
p160-162 見出「新立橋」 寛政元年から現代までについて書かれており、「新立橋絵図」(文政9年)と、写真「竣工当時の新立橋(伊予新報より)」がある。
【資料11】 p26-27
見出「新立橋(蓬莱橋)」。解説と、「蓬莱橋絵図」があるが、【資料10】の「新立橋絵図」と同一のもの。昭和11年6月に完成したコンクリートの新立橋について、写真「こわす前の新立橋」、写真「こわし始めた新立橋」、写真「完成した新立橋の偉容(竣工は昭和11.6.5)」がある。「完成した新立橋の偉容(竣工は昭和11.6.5)」は、【資料10】の写真「竣工当時の新立橋(伊予新報より)」と同一のもの。
2 見つからなかった。
3 【資料8】
p54 この時代の国庫補助事業による橋梁整備に代表的なものを列記する表に、「重信川橋」がある(表の項目:橋名、路線名、所在地、形状、型式、架設年度、備考)。
p55 写真「重信川橋(昭和25年度)」がある。
4 【資料21】 p429
見出「遍路橋」。解説と現代の写真が1枚ある。
5 【資料16】 p210 肱川橋と思われる。
写真「肱川橋の開通式(大2.9.15)」
【資料6】
p18 写真「渡場浮亀橋」肱川橋がかかる前の橋
p19 写真「肱川橋架橋」大正2年、肱川橋がかけられることになった。
p20-21 写真「肱川橋開通」大正2年完成イベントの様子。
送付の絵葉書「大洲市・肱川大橋」と左右逆だが酷似している。
p21 写真「肱川橋と城山」
p21 写真「肱川橋の上」
p38-39 写真「肱北より肱南を望む」
p39 写真「肱川橋と富士山」
【資料8】
p54 この時代の国庫補助事業による橋梁整備に代表的なものを列記する表に、「肱川橋」がある(表の項目:橋名、路線名、所在地、形状、型式、架設年度、備考)
p57 写真「肱川橋(昭和33~35年度)」が2枚ある。
【資料1】 p396-397
見出「特記・肱川橋」。明治44年の起工、大正2年の開通、昭和36年度の架け替えまでの記述がある。
6 【資料17】p369-371 長浜大橋と思われる。
見出「長浜大橋」。3ページにわたる記述と写真が1枚ある。
【資料5】 全
長浜大橋の概要、現代のカラー写真3枚、建設当時の写真1枚、図1枚ある。
【資料4】
巻頭図版8ページ(うち4ページはカラー)にわたり写真がある。
p26-30 記事「長浜大橋 現役最古の道路可動橋」(日本大学理工学研究所教授 伊東孝氏著)。特徴、経緯、木材、関係者、技師等について解説している。
【資料9】 p26-27
見出「長浜大橋 現役唯一の道路可動橋」。伊東孝氏の解説とカラー写真2枚がある。
7 【資料14】
p50 明治時代の写真と簡単な解説がある。
p85 明治中期の写真と簡単な解説がある。
8 【資料14】 p85
昭和7年に付け替えられたコンクリート造りの写真がある。簡単な解説がある。
【資料15】 p11
神幸橋(みゆきばし) 現代のカラー写真がある。
9 【資料18】 p436-437
明治橋についての記述と写真2枚「明治橋(明治37年完成)」「現在の明治橋」がある。
【資料19】】 p33
見出「明治橋 昭和モダンのハイテク橋梁」。解説と現代のカラー写真がある。
10 【資料12】
p17 明治40年頃の写真「木造の頃の蒼社橋」と、簡単な解説がある。
p18 写真「コンクリートの蒼社橋」と、簡単な解説がある。
【資料13】 p78-85
見出「蒼社川と橋1~4」。明治後期頃から現代までの蒼社橋の写真が多数掲載。解説もある。
11 【資料20】 p537
川之江橋の前身、橘橋の設計書の一部がある。
12 【資料2】 p824-827
享保15年の加茂川の渡船の許可願いから昭和までの変遷の記述がある。写真「加茂川橋開通式三夫婦の渡り初め(明治44年)(当時の記念絵はがきより複写)」がある。
【資料1】 p395
昭和12年の橋梁を含めた道路改良事業から14年の橋の完成について記述がある。
【資料3】 p312
写真「加茂川橋」がある。
13 見つからなかった。
14 【資料7】 p40 熊淵橋と思われる。
送付の絵葉書「久万高原町・龍淵橋」と同一の写真があり、「熊淵橋(面河渓谷)昭和6年ころ」とある。昔と今を対比するページで、この写真と並べて「今」の写真「熊淵橋付近(面河渓谷)」があるが、橋は写っていない。
15 【資料9】 p28
見出「道路鉄橋」、写真「岩堰橋 大正13年 松山市」がある。現代のカラー写真で、簡単な解説が付いている。
16 久万高原町には大除城跡があり、大除城橋かもしれないが、橋は見つからなかった。
- 回答プロセス
-
各地域の地誌・写真集等を広範囲に調査した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『四国の建設のあゆみ』 四国建設弘済会 1990 <当館請求記号:K510-11> 貸出不可
- 【資料2】『西条市誌』 西条市 1966 <当館請求記号:K291.5-2> 貸出可
- 【資料3】『松山工事四十年史』 四国建設弘済会 1985.10 <当館請求記号:K510-9> 貸出可
- 【資料4】『動く橋の仲間たち 動く橋シンポジウム'94資料集』 長浜町・動く橋シンポジウム実行委員会 1994 <当館請求記号:K515-16> 貸出可
- 【資料5】パンフレット『登録有形文化財長浜大橋 現役で動く我が国最古の道路可動橋(バスキュール式鉄鋼開閉橋)』 長浜町 1枚(折りたたみ) <当館請求記号:K515.58-トウ> 貸出可
- 【資料6】『写真集 明治大正昭和 大洲』 国書刊行会 1981 <当館請求記号:K294.1-8> 貸出可
- 【資料7】『面河川の生物と自然観察』 愛媛県面河村 1998 <当館請求記号:K462-22> 貸出不可
- 【資料8】『土木十年史』 愛媛県 1962 <当館請求記号:K510-1> 貸出可
- 【資料9】『愛媛温故紀行 明治・大正・昭和の建造物』 えひめ地域政策研究センター 2003 <当館請求記号:K510.2-エヒ-2003> 貸出可
- 【資料10】『ふるさと素鵞』 素鵞郷土研究グループ 1985 <当館請求記号:K293.1-61> 貸出可
- 【資料11】『素鵞の面影 素鵞公民館創立五十周年記念誌』 素鵞公民館 2003 <当館請求記号:K293.1-ソガ-2003> 貸出不可
- 【資料12】『写真集明治大正昭和今治』 国書刊行会 1980 <当館請求記号:ムラK221-イマ> 貸出不可
- 【資料13】『今治郷土史 第10巻 写真が語る今治』 今治市役所 1989 <当館請求記号:K221-14-10> 貸出可
- 【資料14】『写真集 明治大正昭和 宇和島』 国書刊行会 1983 <当館請求記号:K295.2-11> 貸出可
- 【資料15】『伊豫豆比古命神社・和霊神社 通巻114号』 デアゴスティーニ・ジャパン 2016 <当館請求記号:K175-イヨ-2016> 貸出可
- 【資料16】『大洲市誌 写真版』大洲市誌編纂会 1974 <当館請求記号:K294.1-7> 貸出可
- 【資料17】『長浜町誌』 長浜町誌編纂会 1975 <当館請求記号:K294.2-3> 貸出可
- 【資料18】『八幡浜市誌 市制五十周年記念版』 八幡浜市 1987 <当館請求記号:K294.3-3> 貸出可
- 【資料19】『愛媛県の近代化遺産 愛媛県近代化遺産総合調査報告書』 愛媛県県民環境部県民交流課 2003 <当館請求記号:K602-エヒ-2003> 貸出可
- 【資料20】『川之江市誌』 川之江市 1984 <当館請求記号:K291.1-6> 貸出可
- 【資料21】『愛媛県百科大事典 下』 愛媛新聞社 1985 <当館請求記号:K291.1-6> 貸出不可
- キーワード
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- 橋
- 明治~昭和初期
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000300753