レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月19日
- 登録日時
- 2017/07/30 13:22
- 更新日時
- 2017/11/14 15:37
- 管理番号
- 2017-06
- 質問
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解決
松山藩が大洲藩に川筋変更の改修工事を行わせたことにより、現在の新川ができたことを裏付ける資料があるか。
- 回答
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【資料2】p10、上段7行目~23行目に以下の記述あり。
谷上山塊・行同山塊から発して北流する川には……地理的要因を除くため、大洲藩の工事として大谷川に関して、平松から堤防を積み上げ、天井川を作り横田から西流させ南黒田で南流させて、更に新川で八反地川と合流して西流させ伊予灘に注ぐようにした。この工事の完成は一七八二年(天明二)のことであった。
【資料4】p14下段論文に、以下の記述あり。
1 新川の地名の由来と大谷川
大谷川の上流は天井川であったため、この地区では水はけが悪く人々は困っていた。水はけをよくするために今の場所へ流れ出るように、大洲藩が川の付け替えを行い、新しくなった川という意味で「新川」と呼ぶようになったという。
大谷川をはさんで南は南新川・中新川・東新川・北は北新川と呼ばれるが、正式の字名ではない。(旧下吾川村の一部)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 四国地方 (218)
- 河海工学.河川工学 (517)
- 参考資料
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- 【資料1】『愛媛県百科大事典 上 あ~し』(愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編 愛媛新聞社 1985年)
- 【資料2】『伊予市誌』(伊予市誌編さん会/編 伊予市 2005年)
- 【資料3】『愛媛県史 県政』(愛媛県史編さん委員会/編 愛媛県 1988年
- 【資料4】『伊予市の歴史文化 第38号』(伊予市歴史文化の会/編・発行 1988年)
- 【資料5】『大洲藩領史料要録・大洲領庄屋由来書』(伊予史談会/編・発行 1987年)
- 【資料6】『愛媛の水をめぐる歴史』(門田恭一郎/著 愛媛文化双書刊行会 2006年)
- 【資料7】『松山市史料集 第3巻 近世編』(松山市史料編集委員会/編 松山市役所 1986年)
- 【資料8】『松山市史料集 第13巻 年表 近世編8 近・現代編5』(松山市史料集編集委員会/編 松山市役所 1988年)
- キーワード
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- 松山藩
- 大洲藩
- 新川(しんかわ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000219540