レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/05/16
- 登録日時
- 2014/04/12 00:30
- 更新日時
- 2014/04/19 13:42
- 管理番号
- 6001001277
- 質問
-
未解決
門真市古くから生産されている「れんこん」「くわい」について、なにわの伝統野菜に認証される以下の要件を満たしているか、知りたい。
(1)概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜。
(2)苗、種子等の来歴が明らかで大阪独自の品種、品目であり、栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜。
(3)現在も府内で生産されている野菜。
- 回答
-
(【 】内は府立図書館請求記号)
1.れんこんについて
今回、いくつかの資料を調査いたしましたが、門真市の“地蓮”(自生種)の歴史については疑問がないようです。ただし、下記の産経新聞の記事にもあるように、大正期の「石川県・岡山県からの導入種」という点が「なにわの伝統野菜」認定のネックとなっているようです。そのことも含めて調査をおこないました。以下に関連の情報を紹介しておりますのでご覧ください。
●『産経新聞大阪版』 [2013年04月05日(夕刊) 社会面 ]
「大阪府への伝統野菜の申請を門真市に打診したが、市の資料で、93年前の大正9年に、石川、岡山県から種をもちこんで栽培したという記録があったため「100年以上栽培」という基準をクリアできなかった。認定されれば、「なにわの伝統野菜」の認証マークの使用も許可され、ブランド効果が期待できる。
4代にわたる地元農家で河内れんこんの生産を続ける中西正憲さん(56)は、「門真の自生種に石川や岡山の品種交配させた独自の品種だ」と反論したが、品種改良を行った記録がなかった。門真市産業振興課の担当者も「ブランド力を高め、町おこしに役立てたいが、大阪府の登録基準は厳しい」と渋い顔だ。」
●『門真町史』 門真町史編纂委員会編輯 門真町役場 1962 【216.3/104N】
「明治十八年の洪水で、北島の蓮根は全部腐敗し、多くの池師は失業して困窮に陥り、三島郡の方へ出稼ぎに行き、又は各地に転々しつつ蓮根を掘り、天満の赤せ商店へ出荷した。当時の手稼ぎ人は三十七八人の多きに及んだ。現在池の中に残る地蓮は洪水後に三島方面から移入したものである。明治三十六年第五回内国博覧会には田井亀松、北畑鉄次郎の両人が、北島産の蓮根を真綿に包み、桐の箱に納めて出品した。日露戦役には赤セ商店より缶詰に製し、陸軍御用達品として納入した。」(P542)
「明治の晩年頃になって、多年の苦労が報いられて、漸く大量に天満市場に出荷し得るようになった。その後大正四、五年頃には木津市場にも進出した。(中略)所が市場の評判を聞くと、加賀や岡山から立派なハスが続々と入ってきて、とても北島辺のハスでは太刀打ちできないということである。(後略※その後、山田庄太郎、土井捨松、浅田治三郎等が加賀バスを購入し、また伊藤安松等が天満市場の赤楚から備中バスの種を得て植え始めた、との話が続きます。)」(P539)
「支那蓮と呼ばれるものは、明治初年シナから輸入せられたもので、紅花で根茎太く孔も大きい。柔らかくて歯当たりがよく、節と節の間が短い。即ち蓮根は地ハスに比して太く短くて、花が少ない。これが金沢や岡山で栽培されていたのを、当町に移入して在来種に変わることとなった、加賀バスとか備中バスと呼ばれるのがこれの栽培品種なのである。」(P539)
「大体地蓮は孝明天皇の末期から、下田に栽培されて居った。しかしその面積は非常に微々たるものであった。それより約五十年後の明治四十年頃には、水害を回避するため地蓮を作る人が少し出来て、大正七、八年頃迄続けられたが、余り将来性もなし、市場でも歓迎されないので、他府県の改良種導入に着手したのである。頃は大正九年四月に前述の三名(※図書館註:土井捨松氏、浅田治三郎氏、山田左太郎氏のこと)が石川県金沢市だいぎめん(※ママ)、大浦氏(当時その地方の豪農家)、より三十アール(三反歩)分、約1,120kg(300貫)購入して定植した。その年の秋には、実に見事な蓮根が出来、村中話題になり、翌年は、三ツ島、打越、稗島、一番等の親戚、知人に拡がり、恰も水がうるおうように、その種蓮(加賀蓮)が普及したのである。これが今の加賀蓮の本町に栽培された由来である。又もう一種の備中種も石川県へ購入に行ったその年岡山県へ行って取り入れたのであるが、当時の石川県から購入した加賀蓮が大阪駅止めの際、仲仕が乱暴に荷扱して注文の半数が折れたりしたので、三十アール(三反)に植えられないので、又変わった品種もよいだろうと思い岡山県の備中種を導入したのである。それゆえ両品種とも同じ年になるわけである。この二種の改良種が、本町蓮根栽培の普及した起源であり、北河内郡西部の蓮根栽培地帯となり、大きく大阪府の特産として河内蓮根となり、有名になって居る次第である。(中略)改良種を導入した土井捨松氏は大阪府下特産物振興功労者の一員として、去る昭和三十二年五月三日、憲法発布十周年記念日に、大阪府立大手前開館に於いて、大阪府知事赤間文三氏よりその労を犒い、表彰の光栄に浴して居る。」(P1113-1114)
※朝日新聞記事データベース「聞蔵2」や大阪府年鑑などで土井捨松氏受賞についての記事を探しましたが、残念ながら見つけることができませんでした。
また、門真での蓮根の栽培現況の紹介中に「蓮根の品種」の項があり、そこでは「現在、備中種と加賀種の二種類がある。(中略)以上の二品種が現在本町内に作られて居るが備中種の方が全栽培面積の70%を占めている現況である。」とあります。(P1114)
●『蓮 ものと人間の文化史』阪本祐二[著] 法政大学出版局 1977 【210.1/8】
「『河内蓮根』で有名な大坂府下には、古くからハスが野生していた、これは『古事記』や二上山の供物でもわかるが、大阪市城東区放出町で水道埋設工事場の地下二メートルのところから出たハスの実からでも、昔は大阪平野の湿地帯にハスが自生していたことがうかがわれる。孝明天皇の末頃には野生状態のハスを下田(湿田)に植え、秋の末から冬になると堀りとって自家用にしていた。その後、大阪平野の低地帯はしばしば水害を受け、稲作の被害が大きかったので、これをさけるため、明治40年頃、北河内の門真市の北島を中心にレンコン栽培がはじめられた。こうして大正八年の秋に、栽培化されたレンコンが大阪の天満市場に出されたが、余りにも品質が悪く、誰も相手にしてくれなかった。当時、石川県、岡山県から前記の優良種が入荷していたからであった。地元の大阪で、『将来あなたがたはこの調子では食えまへんで』といわれ、北島の人々は発奮し、石川県と岡山県から『支那バス系統種』を導入し、大正10年頃には三ツ島、打越、稗島、桑才、一番などに普及した。戦前まで『河内蓮根』として全盛をきわめたがその70%は備中種で、30%は加賀種の割合であった。」(P27-28)
●『どっこい生きてる大阪農業! 産地探訪18年の記録』大阪農業振興協会 [2011] 【612.1/344N】
「門真レンコンの品種は(1)加賀=花は薄桃色、蓮根は節間が短く、食べるとサクサク(2)備中=花は紅、蓮根は細くて節間が長く、味はモチモチ、加賀より生育が早い。いずれも支那バス系、花数が少ない。門真では現在ほとんど備中に変わった。」(P20)
●『北河内の今昔200話』 富田寅一著 新風書房 1998.2 【216.3/411N】
「第101話 河内れんこん」の項があります。「低い地帯の河内の門真地域は、池や田んぼは昔河内れんこんの名産地だった。(中略)大正のはじめ、岡山産で節が短く太い品種が、浅い池や田んぼで育てていることが判り、当地で取り寄せ試作したところ、良い結果だった。それを市場に出すとテンプラや副食物としてうけた。当地では雨が3日も降り続くと、田は冠水して米作りが不能になる土地なので、田は冠水に強いれんこんを競って作り始めた。大阪の中央市場に大量に出荷されるようになり、毎朝価格数量の連絡がくるほどになった。やがて村々にれんこん景気が訪れ、村の各所に新築の家が建ったそうである。その後も石川県から味の良い品種も取り入れ、改良を加え、河内れんこんの名を高めた。」(P1)
●『なにわ大阪食べものがたり』上野修三著 創元社 2007.9【383.8/676N】
「『河内蓮根』慈姑のように蓮も河内湖のあとに自生していた蓮根でしたが、旨くても細くて商品価値が低いことから、加賀蓮と備中蓮をかけ合わせて作り上げたのが“河内蓮根”です。」(P262)
●『なにわ野菜 割烹指南』上野修三著 クリエテ関西 2007.2 【596.3/376N】
「河内れんこんが形質、味共に認められるようになったのは明治以後。細い地蓮のままでは天満青物市場に出荷できなかったことから、岡山より備中蓮根を、石川より加賀蓮根を導入し、品種改良を行った。河内蓮根に肌色が微妙に違う白(加賀)系とピンク(備中)系があるのはそのため。味はもちろん形から食感に至るまで、農家が大阪好みを追求し、生み出したのが現在の河内蓮根なのである。」(P142)
●『イモと蛸とコメの文化』瀬川芳則著 松籟社 1987.5【384.3/76】
「門真付近、すなわち河内北部の湿地で水田蓮を栽培していた人びとは、大正のおわりごろに加賀蓮と備中蓮を導入、これをさらに改良して、“河内蓮根”をうみ出した。いち早い作物の転換である。」(P69)
●『流域をたどる歴史 5 近畿編』豊田武[ほか]編 ぎょうせい 1978【360/615/(3)#】
「(蓮根栽培農家は)門真市では広く分布するが、旧大和田・四宮地区に多く、中でも北島は北島蓮根の名産地になっている。」(P49)
●『日本民俗文化大系 14 技術と民俗 下』小学館 1986.7【571/1183/#】
「門真では、現在、岡山産の備中蓮(約七割)と石川産の加賀蓮(約三割)が栽培されている。」(P69)
●『近郊農業の変貌』【※未所蔵】
「Ⅲ.河内のレンコン地帯」という項目があり、「1.斜陽の本場」(p36)、「2.泥田に陽があたってきた」(p39)といったことがらが掲載されているようなのですが、残念ながら所蔵がないために詳細な内容は確認できませんでした。近隣では「エル・ライブラリー」に所蔵があるようです。
○「食用ハスの交配育種法」【web】
※リンク先から本文の閲覧ができます。
2.くわいについて
残念ながら門真市のくわいについて多くの情報を得ることができませんでした。そのため、当館以外で所蔵している資料についても、参考になりそうな資料を挙げております。
●『門真町史』 門真町史編纂委員会編輯 門真町役場 1962 【216.3/104N】
「クワイ 三島、稗島方面に多く作られたが、その売れる時期が正月前の短い期間だけなので、次第に生産額が少なくなった。」(P534)
「赤クワイ(クログワイのこと) 明治の中頃までは各地で多く作られた菓子の代表品(※ママ。代用品か。)として、子供のおやつにするため需要が多かったのである。(中略)経済的にも可なり評判のよい作物であったが今日では全く作り手がなくなった。」(P534)
●『どっこい生きてる大阪農業! 産地探18年の記録』大阪農業振興協会 [2011] 【612.1/344N】
「クワイの品種は、(1)白クワイ=外皮白く扁平大型、味は淡白で苦み少ない。(2)青クワイ=晩生は濃藍青色、やや小型、病気に弱く収量少ない。中生は淡青色、栽培容易で肉質、味よく、多収(3)吹田クワイ=別名姫クワイ、野生に近く、小型で収量少ない。門真は青クワイが多い。」(P20)
●『特産野菜ハンドブック』地球社 1978 【831/255/(2)#】
蓮根の品種について、支那種、備中種、在来種のみが紹介されています。(P56)また、(青クワイ、白クワイ、吹田クワイの3品種を紹介したうえで)「クワイは品種の分化が少なく、その作型は生態的特性に基づいた分化というよりは、作期の早晩などの相違による栽培様式がいくつかあると理解した方がよい。」とあります。(P95)
●『大阪府農家副業品調査書』大阪府農会 1919【812/1647/#】
大正8年発行の資料ですが、慈姑の主産地として「北河内 庭窪、四宮」とあります。(P4)
●「品種内および品種間交雑によって得られたクワイ系統の生産性」
(『農業および園芸』 68(7), p817-820, 1993-07-00 )【※未所蔵】
所蔵がなく、本文は確認できませんでしたが、「Google Books」で閲覧できる範囲では、門真在来のくわいについて言及されているようです。
※「Google Books」(http://books.google.co.jp/books?hl=ja)にてキーワード「関西の青くわいの代表的系統」で検索すると、「関西の'青くわい'の代表的系統である'門真在来'および埼玉県産系統の'埼玉在来'」といった内容が掲載されていることが分かります。
近隣では、「大阪府立大学学術情報センター図書館」が所蔵されているようです。
●『北河内特産くわい(水田農業確立後期対策指導技術資料)』北河内地区農業改良普及所 1992年【※未所蔵】
※大阪府公文書総合センターの所蔵資料検索でヒットしました。内容は全くわかりませんが、8ページの資料であるようです。
○「水田におけるクワイ品種のひぶくれ病の発生と罹病植物における胞子球の形成」
門真市のクワイを調査対象としています。また、研究協力として門真市農業協同組合の早瀬三郎氏、堤直行氏が挙げられています。なお、インターネットで調査した限りでは門真市農業協同組合は見つけられませんでしたが、「JA北河内」であれば何か分かるかも知れません。
○「クワイ3品種およびこれらの交配系統の球茎の澱粉の性質について」
※リンク先から本文の閲覧ができます。
3.参考(その他調査資料)
上記以外で調査に用いた資料を以下に紹介いたします。残念ながら必要な情報を得ることはできませんでしたが、今後の調査の参考のためにも掲載いたしました。
・『くだもの・やさいの文化誌』今井敬潤著 文理閣 2006.9 【625/48N】
・『五畿内産物図会 河内之部』【802/4/#】
・「伝統の『河内レンコン』を守る-生産者組織の育成と課題」
(『農協大阪』463号【雑/2452/#】p10-12)
・「河内れんこん-山本安治さん」(『まんだ』3号【雑/2595/#】p81-82)
・『近世都市近郊農村の研究 大阪地方の農村人口』三浦忍著 ミネルヴァ書房 2004.4 【612.1/240N】
・『河内の風土記 創立15周年記念誌』グリーン大阪農業協同組合 2013.2【612.1/365N】
・『北河内植物目録』 北河内自然愛好会 2004.5 【470.3/64N】
・『吹田くわいの本 なにわの伝統野菜』吹田くわい保存会編 創元社 2010.6【626.4/12N】
・『吹田くわい』ガールスカウト日本連盟大阪府支部第21団 2007.3【626.4/10N】
・『北河内の今昔100話』富田寅一著新風書房 1994.5【216.3/267N】
・『近世大坂の経済と文化』脇田修著 人文書院 1994.3【216.3/257N】
・『北河内地域の地域経営に関する基本調査』北河内地域振興連絡会議 1974 【535/583/#】
・『大阪府誌 第3編 風土 農業 林業 畜産業 鉱業 漁業』大阪府 1903 【378/37/#】
・『大阪府農産物檢査報告 1-9』大阪府農産物檢査所 【811/85/#】
・『大阪府政の回顧 昭和32年度』 知事室広報課編 大阪府知事室広報課 【435/291/#】
・『大阪府農林産物検査創立三十周年記念誌』大阪府農林産物検査所 1941 【811/87/#】
・『近郊農業経営の性格と構造 農村振興資料』大阪府農業会議 1958 【831/263/#】、【812/1311/#】
・「浪速名物・相伝達料理(食の文化)」(『おおさかふ』11号P41)【雑/3079/#】
・『大阪府農業史』大阪府農業会議 1984.7 【819/693/#】
・『北河内郡史蹟史話』大阪府北河内郡教育会 1931 【372/109/(2)#】
・『阪神大都市圏の土地利用』大阪市政研究所 大阪市政研究所 1958 【436/239/#】
・「農業特産物と農村工業・副業」(『府政画報』第21号)【P31/301N】
・『大阪市周辺市域の軟弱野菜』大阪農林統計協会 1976 【831/247/#】
・『大阪の野菜 大阪農林統計資料』 近畿農政局大阪統計調査事務所 1972 【831/231/#】
・『近畿の野菜』近畿農政局統計情報部 1978 【831/253/#】
・『農産物調査成績』大阪府農産物検査所 1938 611.4 【815/59/#】
・『がんばってるネ!大阪農業』大阪府農林水産部 1991.3 【612.1/148N】
・『大阪府年鑑 昭和33年版』新大阪新聞社 1958 【069/131/(3)#】
・『大阪府重要農産地図』 出版者不明 [出版年不明] 【819/381/#】
・『全国市町村地域農業活力図鑑 6 近畿』農山漁村文化協会 1996.3 【612.1/118N/6】
・『日本の食生活全集 27 聞き書 大阪の食事』農山漁村文化協会 1991.2 【383.8/3N/27】
・『伝承写真館日本の食文化 8 近畿』農文協編集 農山漁村文化協会 2006.7 【383.8/623N/8】
[事例作成日:平成26年2月28日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000152082