関連する資料は、次のとおりです。
『児童文学者人名事典 日本人編・上巻 あ~さ行』中西敏夫/編、出版文化研究会、1998【R909/98ナ/2-1】
p.301 越智春海(おち はるみ)[主な活動分野]文
「1918年、愛媛県に生まれ、広島市に育つ。」
『20世紀日本人名事典 [1] あ~せ』日外アソシエーツ株式会社/編集、日外アソシエーツ、2004【R281.03/104ニ/1】
p.617 越智 春海 おち・はるみ
「昭和期の作家,元・陸軍大尉 [生]大正7(1918)年 [出]広島県広島市 [学]広島修道中卒 [歴]昭和14年広島歩兵第11連隊入営。15年出征、仏領インドシナ作戦、マレー作戦に参加。その後南方各地を転戦。」
『日本幻想作家事典』東雅夫/編、石堂藍/編、国書刊行会、2009【R910.33/109ヒ】
p.153 越智春海(おち・はるみ 一九一八~)
「愛媛県生。『ビルマの死闘』(六七・原書房)など、第二次大戦の戦記物を執筆。」
『海』11巻6号(昭和54年6月)、中央公論社【雑誌】
p.168-177 「徴用中のこと(第二十二回)」 井伏鱒二
p.168 「越智春海氏は当時、二十五軍第五師団市川大隊に所属する機関銃隊第一小隊の隊長で、海南島の三亜港を出発する輸送船のなかで、辻参謀からタイ国兵の青い軍服を着るやうに命じられた人であつた。」
この他、「マレー戦記」を引用する中に越智さんに関する記述が散見されます。
『現代の眼』22巻9号(昭和56年9月)、現代評論社【雑誌】
p.72-77 「凄絶きわまる餓島撤退」 越智春海(元陸軍大尉)
氏名の読みは、「おち しゅんかい」と記載されています。
次の資料は、越智春海氏の妻、越智ヤチヨ氏に関する資料です。
越智春海氏についても述べられていますので、御紹介します。
『やっちゃん 上巻 戦中・戦後』越智春海/著、風濤社、2007【H289/オチヤ107/1ア】
『やっちゃん 中巻 ぎくしゃく二十年』越智春海/著、風濤社、2007【H289/オチヤ107/2ア】
『やっちゃん 下巻 人生、別離足し』越智春海/著、風濤社、2007【H289/オチヤ107/3ア】
また、「国立国会図書館サーチ」で、キーワード「越智春海」と検索すると、関連資料がヒットします。
国立国会図書館サーチ
https://ndlsearch.ndl.go.jp/次の資料を確認しましたが、越智春海氏に関する記述は見当たりませんでした。
『新修広島市史 年表.索引.地図.編纂沿革 第5巻』広島市役所/編修、広島市役所、1962【H21.1/H73/5ア】
『広島県大百科事典 あ-せ 五十音順索引 上巻』中国新聞社/編集、中国新聞社、1982【H03/C62/1】
『広島県史 索引』広島県/編、1984【H21/H73-3/28ア】