レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年12月10日
- 登録日時
- 2023/03/18 11:56
- 更新日時
- 2023/03/18 12:01
- 管理番号
- 千県中千葉-2022-07
- 質問
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未解決
高村光太郎が大正元年の夏に犬吠埼を訪れた時の詳細がわかる資料を知りたい。
資料によって訪問した時が7月となっているものや8月となっているものがあるようだったので、年月日を含めて知りたい。
- 回答
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高村光太郎の犬吠埼滞在に関する資料を調査しました。
滞在した時期については、おおむねの時期がわかったのみで、日の特定には至りませんでした。
まず、光太郎自身が犬吠埼の滞在について記述しているものとして「智恵子の半生」があります。
【資料1】『昭和文学全集 4』(井上靖編集委員 小学館 1989)p545-553 高村光太郎「智恵子の半生」
p550「丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。」の一文から、犬吠埼滞在時期の智恵子との関わりについて触れられています。
『日本大百科全書 22 ませ‐もぬ』(小学館 1988)p704「明治天皇」によると、崩御は1912年7月30日ですので、光太郎が犬吠埼に訪問したのはそれ以降のようです。
大正元年夏頃の高村光太郎の動向について、『読売新聞』で調査しました。
【資料2】1912年9月6日 p5「よみうり抄」に「高村光太郎氏 目下銚子地方に寫生旅行中」との一文があります。
【資料3】1912年9月29日 p5「秋のアトリエ(一) 出品前の諸家」に高村光太郎について書かれています。光太郎の新画室を記者が訪ねたという記事で、「ヒウザン会」に出品予定の「太郎馬鹿」という作品について、光太郎が「先きに銚子へ往った時」に出会った人物をモデルにしていると語っていたことがわかります。光太郎はこの日までには帰ってきているようです。
当館の所蔵資料を調査したところ、光太郎の犬吠埼滞在について触れられている資料は以下のものがありました。内容は概ね共通しており、「智恵子の半生」の引用と、詩「犬吠の太郎」のモデル(光太郎が滞在していた宿「暁鶏館」で雑役をしていた人物)についての解説が掲載されています。
【資料4】『房総の文学めぐり 郷土の文学散歩』(千葉県高等学校教育研究会国語部会編 富士出版印刷 1967)p160-171「犬吠岬をめぐって」のうちp167-170
【資料5】『高村光太郎、その芸術』(千葉県立美術館 [1981])北川太一「高村光太郎、そして房総」(ページ付なし)
【資料6】『銚子市史』(篠崎四郎編 国書刊行会 1981)p906-913「高村光太郎」
【資料7】『高村光太郎ノート』(北川太一著 北斗会出版部 1991)p64-77「一九一二年夏秋」
【資料8】『光太郎覚書』(高原村夫著 創栄出版 1993)p16-22「「犬吠の太郎」とエピソード」
【資料9】『暁雞館を訪れた文人たち 社員研修テキスト』(永沢謹吾著 2000)p3-6「高村光太郎と銚子」
【資料10】『房総を描いた作家たち 5』(中谷順子著 暁印書館 2014)p33-69「高村光太郎」
【資料11】『高村光太郎と房総』(市原善衛著 [市原善衛] 2017)p3-12「光太郎と銚子」
【資料12】本保弘文著「房総の高村光太郎 妻智恵子との愛と苦悩の日々 2 運命の糸を感じた犬吠埼」(『房総路』第37号 房総歴史研究会 1998.3)p34-36
以下は、光太郎の犬吠埼滞在について智恵子側から書かれた資料です。「智恵子の半生」の引用等が掲載されています。
【資料13】『高村智恵子 その若き日』(松島光秋[著] 永田書房 1977)p163-167「光太郎との邂逅」
【資料14】『画学生智恵子 高村光太郎ノート』(北川太一著 蒼史社 2004)p105-109「犬吠岬」
【資料15】『智恵子抄を歩く 素顔の智恵子』(大島裕子著 新典社 2006)p59-73「犬吠埼で夢幻の日々」
【資料16】『「智恵子抄」をたどる』(成田健著 無明舎出版 2015)p30-33「犬吠岬に遊ぶ」
- 回答プロセス
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1.過去の同様のレファレンス記録より
【資料2】、【資料5】、【資料6】、【資料9】~【資料12】を確認。具体的な日付が掲載されている資料はなかった。
【資料10】より、【資料4】の情報を得る。
【資料12】より、光太郎は水野葉舟に宛て、犬吠埼滞在中に絵はがきを、帰京後にはがきを送っていることがわかる。はがきから年月がわかるかと思い、参考文献より『光太郎と葉舟』(高村光太郎著 葉舟会 1989)p132-133を確認したが、どちらも「九月(推定)」となっていた。
【資料5】の巻末に光太郎著作及び散文の一覧あり。犬吠埼滞在の頃の日記や回想はなさそうだということがわかる。
『利根川場所の記憶』(日高昭二著 翰林書房 2020)p282-284「犬吠岬の詩人たち 佐藤春夫と高村光太郎」概要のみのため紹介せず。
『銚子と文学 甦る言葉の海流』(岡見晨明編 東京文献センター 2001)p146-147「高村光太郎」概要のため紹介せず。
これまでの調査より、「智恵子の半生」に犬吠埼滞在のことが書かれているとわかる。千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を書名「智恵子の半生」で検索し、【資料1】を確認。明治天皇崩御の日を調べるため、『日本大百科全書 22 ませ‐もぬ』(小学館 1988)を確認。
2.千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「高村光太郎」、資料種別「千葉県資料」で検索。
【資料8】を発見。
『生誕130年彫刻家・高村光太郎展』(高村光太郎[作] 生誕130年彫刻家・高村光太郎展実行委員会 2013)p200-206「高村光太郎略年譜」のうちp202に「1912 … 8-9.4 千葉県銚子犬吠埼に写生旅行」とあり。旅行を9月4日までとする根拠はわからなかった。
『九十九里浜の光太郎,智恵子。』(清水敏男[著] [清水敏男] 1973はじめに)犬吠埼滞在についての記述なし。
『智恵子抄 高村光太郎の世界』(草野心平文 平凡社 1975)p6-104(※『太陽』No.144(1975年5月号)に所収)p13,19,101に記述があるが、概要のみのため紹介せず。
3.『生誕130年彫刻家・高村光太郎展』p212-217「高村光太郎造型関係文献目録」のうち、「1 基礎テキスト」「3 回想等」「4 光太郎評伝・研究等」の一部を確認。
【資料7】を発見。p314-385「高村光太郎聞き書」にインタビューが掲載されているが、大正元年のことには触れられていない。
『高村光太郎資料 第4集』(高村光太郎著 文治堂書店 1973)p197-226「消息抄」を確認。犬吠埼滞在に関するものはなし。
『わが光太郎』(草野心平著 二玄社 1969)犬吠埼滞在についての記述なし。
以下、関連記述はあるが概要のみのため紹介せず。
『高村光太郎の人間と芸術』(吉田精一編著 教育出版センター 1972)
『高村光太郎研究』(草野心平編 筑摩書房 1959)
『光太郎と智恵子』(北川太一[ほか]著 新潮社 1995)
4.千葉県立図書館ホームページ「菜の花ライブラリー」を「高村光太郎」で検索。
「高村光太郎と銚子 歴史語る 「暁鶏館」の門柱」(『千葉日報』1985年6月5日)p8 を確認したが、【資料11】に収録されている内容だった。
5.千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」を全項目「高村智恵子」で検索。
【資料13】~【資料16】を発見。
以下の資料には、光太郎の犬吠埼滞在に関する詳しい記述は見つからなかった。(巻末の年譜や本文中でわずかに触れられているのみ)
『ふるさとの智恵子』(佐々木隆嘉著 桜楓社 1978)
『女の首 逆光の「智恵子抄」』(黒沢亜里子著 ドメス出版 1985)
『『智恵子抄』を訪ねる旅』(藤原牧子著 明石書店 1994)
『智恵子抄アルバム』(高村規写真 芳賀書店 1995)
『智恵子抄の光と影』(上杉省和著 大修館書店 1999)
『智恵子抄の新見と実証』(大島龍彦著 新典社 2008)
『智恵子抄を読む』(大島龍彦著 新典社 2011)
『智恵子相聞 生涯と紙絵 高村光太郎ノート』(北川太一著 蒼史社 2013)
『『智恵子抄』の世界』(大島竜彦編著 新典社 2004)p24に「智恵子の半生」の犬吠埼の部分が引用されている。引用のみで解説が少ないため紹介せず。その他、参考文献として「高村光太郎研究8」福本洋子「犬吠埼の『親友』」が上げられているが、雑誌『高村光太郎研究』は当館に所蔵がないため確認できず。
以下の資料には関連記述が見つからなかった。
『光太郎智恵子』(高村光太郎著 竜星閣 1964)
6.ヨミダス歴史館で「明治・大正・昭和」を検索語「高村光太郎」、検索期間「明治45年5月1日~大正1年10月31日」で検索。
【資料2】【資料3】を発見。
1912年6月5日 p3「新しい女」に長沼智恵子のことが書かれているが文中に光太郎は出てこない。
1912年9月20日 p5「よみうり抄」にヒュウザン会を結成とあり。犬吠埼の記述なし。
毎索、朝日新聞クロスサーチを同様に検索したが、関連の記事は見つからなかった。
この他、当時の千葉地方紙の調査が考えられるが、当館では所蔵していないため、調査できなかった。
- 事前調査事項
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『高村光太郎全集』(筑摩書房)は確認済み。
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『昭和文学全集 4』(井上靖編集委員 小学館 1989)(9100006157)
- 【資料2】「よみうり抄」(『読売新聞』1912年9月6日)p5
- 【資料3】「秋のアトリエ(一) 出品前の諸家」(『読売新聞』1912年9月29日)p5
- 【資料4】『房総の文学めぐり 郷土の文学散歩』(千葉県高等学校教育研究会国語部会編 富士出版印刷 1967)(9200172517)
- 【資料5】『高村光太郎、その芸術』(千葉県立美術館 [1981])(9200343660)
- 【資料6】『銚子市史』(篠崎四郎編 国書刊行会 1981)(9200288601)
- 【資料7】『高村光太郎ノート』(北川太一著 北斗会出版部 1991)(2100246624)
- 【資料8】『光太郎覚書』(高原村夫著 創栄出版 1993)(9200248965)
- 【資料9】『暁雞館を訪れた文人たち 社員研修テキスト』(永沢謹吾著 2000)(2101231537)
- 【資料10】『房総を描いた作家たち 5』(中谷順子著 暁印書館 2014)(0201010034)
- 【資料11】『高村光太郎と房総』(市原善衛著 [市原善衛] 2017)(0201056730)
- 【資料12】本保弘文著「房総の高村光太郎 妻智恵子との愛と苦悩の日々 2 運命の糸を感じた犬吠埼」(『房総路』第37号 房総歴史研究会 1998.3)(0501079994)
- 【資料13】『高村智恵子 その若き日』(松島光秋[著] 永田書房 1977)(9102143253)
- 【資料14】『画学生智恵子 高村光太郎ノート』(北川太一著 蒼史社 2004)(2101767582)
- 【資料15】『智恵子抄を歩く 素顔の智恵子』(大島裕子著 新典社 2006)(2101899240)
- 【資料16】『「智恵子抄」をたどる』(成田健著 無明舎出版 2015)(2102720992)
- キーワード
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- 高村光太郎(タカムラコウタロウ)
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- 千葉県-銚子市(チバケン チョウシシ)
- 高村智恵子(タカムラチエコ)
- 長沼智恵子(ナガヌマチエコ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000330695