レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月15日
- 登録日時
- 2023/01/13 16:31
- 更新日時
- 2023/02/22 15:57
- 管理番号
- 京歴-653
- 質問
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豊臣秀吉の時代の鴨川で、三条と四条の間に中島があったか知りたい。三条西小橋がどこに架かっていたかを調べており、『豊臣秀吉と京都 : 聚楽第・御土居と伏見城』(日本史研究会編 文理閣 2001.12) に掲載されている図では、川の中の中島から架かっているように見える。
- 回答
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<中島について>
・川の間に陸地があるように書かれている図として『都名所図会を読む』(資料②)の三条大橋の図(pp.4-5)や『京都古地図散歩』(資料③)の「鴨川遊楽図」(pp.58-59)を紹介した。
<三条西小橋について>
以下の資料で三条西小橋についての記述が確認できたので紹介した。
・『三条大橋 復刻版』(資料④)に「三条西小橋」の項目が見つかった。(pp.50-51)
「三条通には、大橋の西に高瀬川があり、それに架る三条小橋と京極通(今の寺町通の東側を流れていました中川京極川)にかけた三条西小橋がありました。」と書かれている。
京極川の川筋がわかる資料として、『京都歴史アトラス』(資料⑤)の「中昔京師地図」(p.57)を併せて紹介した。
資料④では「河原町から西は石橋町で、三条小橋も西小橋も石で出来ていましたので、石橋町と名づけられたものと思われます。」(p.50)と書かれてあるため、『御所周辺, 1: 上京区 (京都市町名変遷史4)』(資料⑥)で「石橋町」(p.821)を調べると、「町名の由来は、『坊目誌』に「伝へ云ふ。京極川に架せる石橋ありしより名とす」とあるように、京極川に架けられた橋があったことによるものといわれる。」とあり、橋の名前については書かれていなかった。
- 回答プロセス
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・『豊臣秀吉と京都 : 聚楽第・御土居と伏見城』(資料①)の図を確認。
「豊臣政権の京都都志改造」(中村武生[著];pp.89-119)に掲載されている「第13図 閉鎖された四条通概念図」(p.108) では、中島が確認できる。
・古い京都の地図が確認できる『都名所図会を読む』(資料②)、『京都古地図散歩』(資料③)などを見て、中島が書かれているか探した。
・三條西小橋について、『三条大橋 復刻版』(資料④)、『京の橋物語』(資料⑦)、『京の鴨川と橋 : その歴史と生活』(資料⑧)など、橋の本で三條西小橋について記載がないか確認した。
- 事前調査事項
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『大日本金石史』第3巻「京都 三条大橋擬宝珠」(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960210/147)に三条西小橋の擬宝珠についても書かれており、天正19年と書かれていることから、高瀬川ができる前にどこかに架けられていたものと思われる。
【Webページの最終確認日:2023年1月30日】
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 橋梁工学 (515 10版)
- 参考資料
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- ①『豊臣秀吉と京都 : 聚楽第・御土居と伏見城』日本史研究会編 文理閣 2001.12 (当館請求記号:K1||216.204||N71||)
- ②『都名所図会を読む』宗政五十緒編 東京堂出版 1997.3 (当館請求記号:K1||291.62||Mu33||)
- ③『京都古地図散歩』(別冊太陽 [日本のこころ 86])平凡社 1994.7 (当館請求記号: K1||216.2||B39||)
- ④『三条大橋 復刻版』(緑紅叢書 ; 4の10(46) [京の三名橋 ; 上])田中緑紅 [著] 三人社 2019.6 (当館請求記号:K1||291.62||Ta84||46)
- ⑤『京都歴史アトラス』足利健亮編 中央公論社 1994.9 (当館請求記号:K1||216.2||A92||)
- ⑥『御所周辺, 1: 上京区 』(京都市町名変遷史 4)松本利治著 京都市町名変遷史研究所 1988.2 (当館請求記号:K1||291.62||Ma81||1)
- ⑦『京の橋物語』(京都文庫 4)松村博著 松籟社 1994.9 (当館請求記号:KS||515.02||Ma82||)
- ⑧『京の鴨川と橋 : その歴史と生活』門脇禎二 朝尾直弘共編 思文閣出版 2001.7 (当館請求記号:K1.7||515.02||Ka14||)
- キーワード
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- 三条西小橋
- 鴨川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327308