レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/07/17
- 登録日時
- 2018/03/15 00:30
- 更新日時
- 2018/03/15 13:08
- 管理番号
- 千県中参考-2017-29
- 質問
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未解決
コスモス(花)の日本渡導入の歴史について、参考になる資料を探している。特に知りたいのは、事前調査事項にある明治12(1879)年のラグーザによる導入と、中島禎敏という人物の記憶(明治42(1909)年の文部省による種子の配布)について。
- 回答
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回答プロセスにあるような調査を行い、ラグーザによる導入については、【資料1】『ラグーザ・玉 女流洋画家第一号の生涯』p. 21に次のような記述が見つかりました。
「コスモスの花は、ラグーザ教授が、玉のデッサン指導のために種子を日本に持ち込み、あの美しいピンクや白の、清楚で艶な花を咲かせたものであるという」
また、『読売新聞』の記事によると明治39(1906)年にはコスモスは既に広まっていたようです(【資料2】「昨今の園芸=9 春蒔の西洋草花=上 コスモス、ベコニヤ、プリムラほか」)。
他に、ラグーザとコスモスに関する文献の情報として【資料3】『三井の山風どこ吹く風』(福家俊彦著 方丈堂出版 2012)「ラグーザ玉とコスモス」、【資料4】安井収蔵「ラウンジ 美術の小径 ラグーザとコスモス」(『Clinic bamboo = ばんぶう』日本医療企画 70号 1987.4)p. 163-163が見つかりましたが、内容は未確認です。
これ以外の日本渡導入の歴史について、また文部省による種子の配布については、事前調査事項にない情報は見つかりませんでした。
(インターネット最終アクセス:2017年7月17日)
- 回答プロセス
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(1)国語辞書、百科事典、歴史事典からの調査
【資料5】『日本国語大辞典』(全13巻別1巻)(小学館 2000-2002)(0105584335)
第1巻 p. 179「あきざくら 秋桜」の項
→山廬集(1932)<飯田蛇笏>昭和2年・秋「垣間見し機たつ賤や秋桜」の用例あり。
第5巻 p. 800「コスモス」の項
→「日本へは1887年(明治20)ごろ渡来」とあり。
【資料6】『日本大百科全書 9』(小学館 1986)(9102882035)p. 320-321「コスモス」の項
→「日本には幕末に渡来したが、本格的に広がったのは1909年(明治42)、文部省が全国の小学校に栽培法を付して配布してからである」とあり。この項の著者は事前調査事項の『花の履歴書』と同じ「湯浅浩史」。
【資料7】『世界大百科事典 10』(平凡社 2007)(0106013644)p. 324「コスモス」の項
→日本への渡来についての記述は見当たらず。
【資料8】『国史大辞典』(全15巻17冊)(吉川弘文館 1979-1997)
→事項索引に「コスモス」「アキザクラ」「オオハルシャギク」「シュウオウ」「ツクモグサ」とも見当たらず。(「オオハルシャギク」は後出【資料18】『日本の帰化植物図譜』、「九十九草」は【資料2】「昨今の園芸=9 春蒔の西洋草花=上 コスモス、ベコニヤ、プリムラほか」から得たキーワード)。
→第14巻 p. 493「ラグーザ」の項、コスモスへの言及はなし。参考文献より【資料9】へ。
→【資料9】『明治初期来朝伊太利亜美術家の研究』(隈元謙次郎著 八潮書店 1978)(9102621629)
p. 75-103 第4章「ラグーザ」を通覧するが、コスモスや花の種子を持参したとの記述は見当たらず。
p. 95「ラグセー氏」の表記あり。以下の調査に「ラグセー」も含める。
【資料10】『日本史大事典』(全7巻)(平凡社 1992-1994)(9102889573)
→事項索引に「コスモス」「アキザクラ」「オオハルシャギク」「シュウオウ」「ツクモグサ」とも見当たらず。
→「ラグーザ」の項でコスモスへの言及、文献の情報ともになし。
【資料11】『古事類苑 51 総目録・索引』(吉川弘文館 1969)(9102970209)
→「コスモス」「アキザクラ」「オホハル…」「シフワフ」「ツクモグサ」にて引くもいずれの項目も見当たらず。
【資料12】『古事類苑新仮名索引』(倉本一宏編 吉川弘文館 2010)
→「こすもす」「あきざく」「おおはる」「しゅうお」「つくもぐ」にて引くもいずれの項目も見当たらず。
(2)「リサーチ・ナビ」(国立国会図書館)(http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/)からの調査
ア 「中島禎敏」による検索、「調べ方」「本」のヒットなし。
イ 「コスモス 渡来」「コスモス 導入」「コスモス 文部省」「秋桜」「九十九草」「アキザクラ」「オオハルシャギク」「シュウオウ」「ツクモグサ」「西洋草花」「ラグーザ コスモス」「ラグセー」による検索。
→【資料3】【資料4】【資料13】がヒット。
【資料3】『三井の山風どこ吹く風』(福家俊彦著 方丈堂出版 2012)「ラグーザ玉とコスモス」
→未所蔵につき、内容未確認。国立国会図書館、県外複数図書館所蔵。
【資料4】安井収蔵「ラウンジ 美術の小径 ラグーザとコスモス」(『Clinic bamboo = ばんぶう』日本医療企画 70号 1987.4)p. 163-163
→未所蔵につき、内容未確認。国立国会図書館所蔵。
【資料13】『花の文化史 花の歴史をつくった人々』(復刻版)(春山行夫著 日本図書センター 2012)
→講談社版(1980)(9103129212)を所蔵、索引「コスモス」より、p. 208にあたる。
「新大陸からひろがった植物」の項にあるが、日本への渡来についての記述は見当たらない。
(3)植物についての書誌からの調査
【資料14】『動物・植物の本全情報 1999-2003』(日外アソシエーツ 2004)(1101915502)(2101764301)
【資料15】『動物・植物の本全情報 93/98』(日外アソシエーツ 1999)(1101647920)(2101053711)
【資料16】『植物・植物学の本全情報 45/92』(日外アソシエーツ 1993)(1101187615)(2100143734)
→【資料14】【資料15】の索引にはコスモスなし。【資料16】索引「コスモス」よりp. 323「コスモス」の項、掲載は『こすもすと虫たち 新日本動物植物えほん』(高家博成ぶん 新日本出版社 1980)のみ。
(4)件名「コスモス」「外来植物」「植物-命名法」の蔵書
千葉県立図書館「図書・雑誌・視聴覚資料検索」(https://www.library.pref.chiba.lg.jp/licsxp-iopac/WOpacMnuTopInitAction.do)を件名「コスモス」「外来植物」「植物-命名法」により検索。
【資料17】『コスモス手帳』(稲津厚生監修 産研 1988)(9200297709)
p. 2-3「コスモスの生い立ち」
→「日本に渡来したのは江戸末期のこと。オランダ人が島津藩に持ってきたとされています。そして明治12年には、東京美術学校の教師ラグーザが、イタリアからタネを持参し、これらのタネがもとになって、コスモスの花が広がっていったといわれています」とあり。出典や文献の情報は見当たらず。
→著者「稲津厚生」について「国立国会図書館サーチ」(http://iss.ndl.go.jp/)で検索するが、一見してコスモスに関係すると判断できる文献は次の博士論文のみ。
「コスモス(Cosmos bipinnatus Cav.)におけるイエロー花色品種の成立に関する生化遺伝学的研究」(稲津厚生[著])
【資料18】から【資料20】は、「コスモス」又は「オオハルシャギク」の記述はあるも、日本への渡来についての記述は見当たらなかった図書。
【資料18】『日本の帰化植物図譜』(日本植物画倶楽部著 アボック社 2009)(1102202369)
【資料19】『日本帰化植物写真図鑑 [第1巻] Plant invader 600種』(全国農村教育協会 2001)(0105647453)
【資料20】『日本の帰化植物』(清水建美編 平凡社 2003)(1101842219)(2101585042)
【資料21】から【資料24】は、目次、索引等から探した限り、「コスモス」「アキザクラ」「オオハルシャギク」についての記述が見当たらなかった図書。
【資料21】『帰化植物の自然史 侵略と攪乱の生態学』(森田竜義編著 北海道大学出版会 2012)(1102319610 )
【資料22】『海をわたった華花 ヒョウタンからアサガオまで』(人間文化研究機構国立歴史民俗博物館編集 人間文化研究機構国立歴史民俗博物館 2004)(0105862540)
【資料23】『緑の侵入者たち 帰化植物のはなし』(朝日選書)(浅井康宏著 朝日新聞社 1993)(9103132675)
【資料24】『原色日本帰化植物図鑑』(保育社の原色図鑑)(長田武正著 保育社 1976)(9102914961)
(5)読売新聞記事データベース「ヨミダス歴史館」
「中島 禎敏」「コスモス 文部省」「秋桜」「九十九草」「オオハルシャギク」「西洋草花」「ラグーザ 種」「ラグーザ コスモス」「ラグセー」による全文検索
「コスモス」によるキーワード検索
※検索式によってはヒット件数多数になる場合もあり、ヒットした全件の精査はできていない。
ア 1909年前後に文部省による配布の記事
見当たらず。
イ コスモスに関する記事
【資料2】「昨今の園芸=9 春蒔の西洋草花=上 コスモス、ベコニヤ、プリムラほか」(1906.4.22 5面)
→「九十九草という和名さへあつて、今では到る處へ廣まり」とあり。渡来についての記述は見当たらず。
【資料25】「編集室より 西洋草花の流行は非常な速度で進む/風満楼」(1909.4.28 2面)
→「秋になれば、農家の籬にコスモスの伸びたるも決して珍しきにあらず」とあり。渡来についての記述は見当たらず。
【資料26】「[編集手帳]コスモスの由来」(1987.10.9 1面)
→「日本への最初の渡来が幕末という。オランダから島津藩を経てとされるが、一般に広まったのは明治十二年以降だろう。この年、東京の工部美術学校(現東京芸大)の彫塑学科教師ラグーザが母国イタリアから種を取り寄せたとする説がある」とあり。
(6)ラグーザ玉の伝記
【資料3】記事名よりラグーザ玉(ラグーザの妻)とコスモスに関わりがあるらしいことから、件名「ラグーザ 玉」の図書である【資料1】『ラグーザ・玉 女流洋画家第一号の生涯』、【資料27】にあたる。
【資料27】『ラグーザお玉自叙伝』(ラグーザ玉著 木村毅編 恒文社 1980)(9102744413)
→p. 38に「自分の庭に咲かしてある西洋草花などを持ってきては」とあり、p. 294にもラグーザが玉に実物写生をさせるために草花を見せたことが記述されているが、コスモスへの言及は見当たらず。
- 事前調査事項
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磯野直秀「明治前園芸植物渡来年表」(『慶應義塾大学日吉紀要 自然科学』42号 2007.9 p. 27-58)
→コスモスは1862年に遣欧使節によって導入されたとのこと。出典は遠藤正治「遣米・遣欧使節齎来の植物を記載した「草木図説遺構」の発見」(『慾斎研究会だより』90号)。
『ガーデニング植物誌』(大場秀章 八坂書房 2012)
→p. 56に「明治前園芸植物渡来年表」と同様の記述があり、また1879年に東京美術学校講師・ラグーザがイタリアから持参したという記述があります。
『植物ごよみ』(湯浅浩史著 朝日新聞社 2004)
→p. 253-254に1909年に文部省が栽培法を付けて全国の小学校に種子を配布したと書かれています。
『花の履歴書』(湯浅浩史[著] 講談社 1995 講談社学術文庫)
→p. 167には上記の文部省の種子配布に関して、中島禎敏氏の記憶によるものと書かれています。
『四季の花園 前編』(小川安村編 有隣堂 1891)(国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開(保護期間満了))(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840129)
→コスモスの形態と栽培法が掲載されています。
夏目漱石「思い出すことなど」(初出は1910-1911年)
→「桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモス」という記述があります。
→(図書館補記)『漱石全集 第17巻 小品』(夏目漱石著 岩波書店 1979)(9104515895)p. 82に「明治44、4、13」とあり。
※書誌事項の一部は図書館で補記しました。
- NDC
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- 被子植物 (479 9版)
- 花卉園芸[草花] (627 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『ラグーザ・玉 女流洋画家第一号の生涯』(加地悦子著 日本放送出版協会 1984 NHKブックスカラー版C22)(9102744422)
- 【資料2】「昨今の園芸=9 春蒔の西洋草花=上 コスモス、ベコニヤ、プリムラほか」(『読売新聞』1906(明治39)年4月22日 p. 5)
- キーワード
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- コスモス(コスモス)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000232513