レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/03/16
- 登録日時
- 2021/04/01 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:41
- 管理番号
- M21032714214726
- 質問
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岸田吟香は三河国の挙母藩(ころもはん)から「二口俸」をもらっていたと言うが、「二口俸」の意味を知りたい。
- 回答
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資料①『岸田吟香 資料から見たその一生』には、「岸田先生ヲ民間ヨリ特ニ抜擢シ、二口俸ヲ給ヒ、中小姓ニ班ス。」や「あれほどの人材がわづか二万石の城主に一日米一升、即ち二口俸で仕へてゐたとは実に意外です。」といった記述がある。
資料②『明治の傑人岸田吟香』にも挙母藩の分限帳を紹介して「安政三辰三月 日 学問修行被仰付 月棒弐口被下御直札席並御取扱被仰付」とある。
資料③「岸田吟香」には、「吟香は津山藩のみならず挙母藩からも俸給を受けていたようである。これを「二口俸」と言う。」とあった。
資料④『津山市史 第3巻 近世1』には、「中級以下の多数の家臣は、別に給地をもたず、扶持米取りと呼ばれ、扶持と称する定額の米穀の給与を受けた。扶持は実際の口糧を標準にし、一人扶持には一日五合であった。」ともある。
資料⑤『旭町誌 通史編』には「吟香は(中略)、学資として二口俸(一日につき米一升)を給された。」とある。
資料⑥「吟香岸田翁碑」には津山藩士であった、津山藩から禄をもらっていた、とは書かれていなかった。また、資料⑦『津山藩士族歴代人名録 津山藩士家筋調』には、名前がなかった。
以上のことから「二口俸」とは、一日につき米一升の意味と考えられる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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資料① 杉浦正『岸田吟香 資料から見たその一生』 汲古書院,1996,412p.参照はp.81-85.
資料② 豊田市郷土資料館『明治の傑人岸田吟香』豊田 豊田市教育委員会,2013,195p.参照はp.34-35.
資料③ 杉山慎策「岸田吟香」『VISION OKAYAMA』第2039号,瀬戸内海経済レポート,2019,参照はp.103.
資料④ 津山市史編さん委員会『津山市史 第3巻 近世1』津山 津山市,1973,179p.参照はp.125-126.
資料⑤ 旭町『旭町誌 通史編』旭町(久米郡) 旭町,1999,1159p.参照はp.471-477.
資料⑥ 「吟香岸田翁碑」『津山温知会誌』第11号,津山温知会,1918.参照はp.82-83.
資料⑦ 本沢信美『津山藩士族歴代人名録 津山藩士家筋調』津山 美作出版社,1冊,1973.
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資料① 杉浦正『岸田吟香 資料から見たその一生』 汲古書院,1996,412p.参照はp.81-85.
- キーワード
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- 岸田吟香
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2021032714284614726
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000296201