レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/05/15
- 登録日時
- 2007/09/21 02:11
- 更新日時
- 2009/11/05 17:55
- 管理番号
- 埼熊-2007-023
- 質問
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解決
幕末の倒幕軍の武士は、頭にそれぞれ色のついたものを目印につけていたというが、どのようなものか。その起源についても知りたい。
- 回答
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熊毛をあしらった赤熊(しゃぐま)・白熊(はぐま)・黒熊(こぐま)と喚ばれる冠物をいう。
以下の資料を紹介する。
資料①『ビジュアル・ワイド明治時代館』(小学館)p61「戊辰戦争当時の諸藩兵」の写真解説に、熊毛をあしらった赭熊(しゃぐま)・白熊(はぐま)・黒熊(こぐま)の冠物も現れたという記述あり。
資料②『戊辰物語 幕末から明治へ』(新人物往来社)p64「薩摩州のおもだった人は黒い毛のかぶり物、長州は白い毛、土佐は赤い毛の」と記述あり。
資料③『日本近代軍服史』(雄山閣出版)p71-75〈第3章 各藩兵の戎服〉「赤熊・白熊・黒熊」の項に、どうしてこの風俗が始まったか、各藩の藩史や藩法集を見てもこれについての記録がないとある。
資料④『日本の軍服』(国書刊行会)p36「東征軍の戎装」の項に該当記述あり。
維新の兵乱に際し、東征軍の将校の間に飾毛のみを直接頭に冠る風が起こった。よく引用される「薩州は黒い毛のかぶりもの、長州は白い毛、土州は赤い毛」(「戊辰物語」)は誤りで、各藩とも定まった色ではなかった」とあり。
資料⑤『考古学雑誌 28巻5号』(吉川弘文館)p322「所謂唐の頭について」の論文あり。
資料⑥『図録日本の甲冑武具事典』(柏書房)p338「兜蓑と引廻し」の項
「白色のものを(はくま)、黒色のものを(こくま)、赤く染めたものを(しゃくま)とよび、唐の頭は獣毛の一種で、総て支那から舶載されたもの」と記述あり。
- 回答プロセス
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倒幕派の薩摩、長州、土佐藩等の諸藩関連資料を調べるが、該当記述なし。
《Google》を〈戊辰戦争〉等で探索、将校が被ったヤクの毛で作った被り物〈白熊(はぐま)・黒熊(こぐま)・赤熊(しゃぐま)〉の記述が見つかり、『国史大辞典 索引』にあたる。
「白熊」の参照項目「唐頭(からのかしら)」の項に、赤熊・白熊・黒熊の説明および参考文献があり、掲載資料を探す。
次に幕末の戊辰戦争関係資料を探索、『ビジュアル・ワイド明治時代館』『戊辰物語 幕末から明治へ』に該当記述あり。
軍服関係資料にあたる。『日本軍の軍服』(国書刊行会)のp36「東征軍の戎装」の項に記述および薩摩藩士某着用の〈白熊〉の写真あり。『日本近代軍服史』(雄山閣出版)p36「赤熊・白熊・黒熊〈熊毛の冠りもの〉」の項には、「熊毛は、チベット産ヤクの体毛・尾毛のことである」と始まり、詳細な記述が続く。左記2冊の資料には、敵味方の目印として袖印・肩印をつけたという記述もあった。
その他に『箱館戦記』p10、15に〈赤熊・白熊〉の写真あり。『箱館海戦記』p23、26に〈赤熊〉の錦絵あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 国防.軍事 (390 9版)
- 日本語 (031 9版)
- 参考資料
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- 『ビジュアル・ワイド明治時代館』(佐々木隆 小学館 2005)
- 『戊辰物語 幕末から明治へ』(東京日日新聞社会部 新人物往来社 1970)
- 『日本近代軍服史』(太田臨一郎 雄山閣出版 1972)
- 『日本軍の軍服 幕末から現代まで』(太田臨一郎 国書刊行会 1980)
- 『考古学雑誌 28巻5号』(吉川弘文館)
- 『図録日本の甲冑武具事典』(笹間良彦 柏書房 1981)
- キーワード
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- 戊辰戦争
- 軍服
- 日本-歴史-江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 管理番号「埼浦-2007-034」が類似の調査事例である。「ハゲマ」「はくま」などのレファレンス記録が異なる。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000037634