レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年11月07日
- 登録日時
- 2022/01/21 14:16
- 更新日時
- 2022/01/21 14:17
- 管理番号
- 横浜市中央2645
- 質問
-
未解決
『吾妻鏡』等、富士の巻狩についての記述がある作品の中に次のような内容の記述はあるか。
「鎌倉幕府を開くにあたり、大規模な巻狩を行った。このときに、田舎から出てきたものが、
日本一の大男として誉をうけた」というような内容のもの。
- 回答
-
調査を行いましたが、お探しになっている記述は発見することができませんでした。
以下、富士の巻狩をはじめとした幾つかの巻狩の場面にて、「獲物を射止めた」
「誉を賜った」という描写のある箇所を紹介いたします。
なお特に記載がない限り、巻号や章段、頁数は下記の資料のものとなっています。
『吾妻鏡』 :『現代語訳 吾妻鏡』全16巻及び別巻 吉川弘文館 2007年-2016年
底本「新訂増補国史大系本」
『曾我物語』:『新編日本古典文学全集 53巻 曽我物語』小学館 2002年
底本「大石寺本」
1 富士の巻狩について
(1) 『吾妻鏡』における富士の巻狩
第6巻p.14 建久四年五月十六日
「頼朝が、大友左近将監能直(おおとも さこんのしょうげん よしなお)
を通じて愛甲三郎季隆(あいきょう さぶろう すえたか)を内々に褒める」
「矢口の神事にて、頼朝が工藤庄司景光(くどう しょうじ かげみつ)、
愛甲三郎季隆、曽我太郎祐信(そが たろう すけのぶ)の三人に矢口餅を
賜った」という描写があります。
(2) 『曽我物語』における富士の巻狩
巻第八〔三〕p.270 (注によると建久四(1193)年五月十六日)に
「少将御料と畠山六郎重保(はたけやま ろくろう しげやす)が日本中の
武士の中から選び出された」という描写があります。
【補足】
岩波書店『日本古典文学全集 88 曽我物語』(底本:十行古活字本)には、
頼朝が葛西六郎清重に対して褒美を与えるという描写があります。
(大石寺本にはないエピソード)
巻第八〔四〕p.275 「新田四郎忠経(にった しろう ただつね)が大猪を
仕留めた」という描写があります。
【補足】
岩波書店『日本古典文学全集 88 曽我物語』(底本:十行古活字本)には
このエピソードに加え、「頼朝が忠経に対して褒美を与えた」という描写が
あります。(大石寺本にはないエピソード)
2 下野那須野・信濃三原野の巻狩
(1) 『吾妻鏡』における下野那須野・信濃三原野の巻狩
ア 下野那須野
建久四(1193)年戊戌四月二日、己未四月二十三日に那須野の巻狩についての
記述があります。(詳細な記述はありません。)
イ 信濃三原野
詳細な記述はありません。
【補足】
『曽我物語』では信濃三原野で狩りをした後、赤城山麓の狩場を経て下野那須野に
向かっているが、『吾妻鏡』では下野那須野から信濃三原野という順になっています。
(2) 『曽我物語』における下野那須野・信濃三原野の巻狩
ア 信濃三原野 巻第五〔十一〕
p.195 「頼朝が梶原景季(かじわら かげすえ)と海野小太郎
(うんのの こたろう)の二人に褒美を与える」という描写があります。
p.197 「頼朝、佐原十郎義連(さわら じゅうろう よしつら)、逸見冠者義有
(へんみ かんじゃ よしあり)が鹿を射止める」という描写があります。
(褒美についての記述はなし)
イ 下野那須野 巻第六〔一〕~〔四〕
p.205 下野那須野についての記述があります。
(狩りについての詳細な記述はありません。)
【補足】
『吾妻鏡』では那須野の巻狩が四月に行われているが、『曽我物語』では五月上旬に
那須野に向かっているという違いがあります。
3 その他の巻狩
(1) 『吾妻鏡』におけるその他の巻狩
第6巻p.10 建久四年(1193年)壬辰三月二十五日
「武蔵国入間野で追鳥狩を行い、頼朝が藤沢二郎清親(ふじさわ じろう きよちか)
に褒美を与えた」という描写があります。
(2) 『曽我物語』におけるその他の巻狩
伊豆奥野の巻狩 巻第一〔九〕~〔十一〕安元二年(1176年)10月上旬
「武蔵・駿河・伊豆・相模の四か国の大名が、伊豆奥野で7日間の狩りを行った」
という描写があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000311011