レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/01/05
- 登録日時
- 2024/02/02 00:30
- 更新日時
- 2024/03/21 13:37
- 管理番号
- 16544376
- 質問
-
未解決
戊辰戦争後 、会津藩士が小川町講武所(神田三崎町)にて謹慎している。
講武所に関する記述はあるが、できれば建物に関する写真があれば見たい。
また、その際の謹慎先での生活などが載っている資料があれば知りたい。
- 回答
-
以下のとおり調査しましたが、小川町講武所の写真は見当たりませんでした(参考情報:資料1)。
収容所における暮らしについて記述のある資料として、資料2-4があります。講武所における生活ではないものも参考にご紹介しています。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館・個人送信対象)資料です。
資料1(参考情報)
古板江戸図集成刊行会 編『集約江戸絵図 下巻 (江戸特殊図,年表,総索引)』中央公論美術出版, 1963【291.36-Sy998-K】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/3025435/1/89
pp.86-99(89-102コマ)に「小川町講武所総絵図」が掲載されています。
1枚の絵図を分割して掲載しています。
pp.86-87の図を1枚にまとめた画像は、東京都立図書館の「TOKYOアーカイブ」で公開されています。
・「小川町講武所総絵図」
ウェブサイト:https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000015-00215029
収容先での暮らしについて記述のある資料に、以下のようなものがあります。
資料2
柴五郎 著 [他]『ある明治人の記録 : 会津人柴五郎の遺書 (中公新書)』中央公論社, 1971【GK128-5】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/12192515/1/30
陸軍軍人で、会津藩士柴佐多蔵の五男である柴五郎の伝記です。
pp.46-52(30-33コマ)に「俘虜収容所へ」という項目があり、当時の暮らしぶりについて簡単に言及されています。
当時11歳ごろであった著者は、初めは御搗屋に収容されていましたが、途中から小川町の講武所に移動しています。また、伊沢清次郎の仮学校に列席し、素読を授かった事等が書かれています。(p.52)
資料3
阿達義雄 著『会津藩士の越後流亡日誌 : 高田謹慎所の会津降人達 新潟港の斗南移住婦女子』鳥屋野出版, 1984.11【GB421-244】◎
https://dl.ndl.go.jp/pid/12229091/1/26
pp.45-59(26-33コマ)「前編 会津藩降人 越後往来」>「III 高田謹慎所の幽囚生活」に、高田謹慎所でどのような日常を送っていたのかが書かれています。
資料4
星亮一 著『敗者の維新史 : 会津藩士荒川勝茂の日記 (青春文庫 ; ほ-10)』青春出版社, 2014.10【GB421-L51】
pp.134-139「越後高田での謹慎」>「風流の日々」には、越後高田で謹慎していた会津降人達に米桶等が支給され、自炊生活を送っていたこと等が書かれています。
【調査に使用した主な資料】
・中井けやき 著『明治の兄弟 : 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎 増補版』文芸社, 2018.10【GK13-L1158】
・小山矩子 著『日本人の底力 : 陸軍大将・柴五郎の生涯から』文芸社, 2007.4【GK128-H87】
・鈴木理生 著『明治生れの町神田三崎町』青蛙房, 1978.7【GC67-163】
・『中央公論』86(5 臨時増刊)(1006)中央公論新社, 1971.4【Z23-9】
pp.327-374「会津人柴五郎の遺書」(石光真人編述)が掲載されており、資料2と同様の記述があります。
・今村嘉雄 著『十九世紀に於ける日本体育の研究』不昧堂書店, 1967【780.21-I333z】
【調査に使用した主なデータベース等】
・朝日新聞クロスサーチ(当館契約データベース)
・毎索(毎日新聞)(当館契約データベース)
・ヨミダス歴史館(読売新聞)(当館契約データベース)
・皓星社 雑誌記事索引集成データベース(ざっさくプラス)(当館契約データベース)
インターネット情報等の最終確認日:2024年1月4日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・『紙碑・東京の中の会津』( https://dl.ndl.go.jp/pid/9538489/1/11 )
「会津藩士謹慎の小川町講武所跡〈三崎町〉」(pp.17-18)
・『講武所(東京市史;外篇 第3)』( https://dl.ndl.go.jp/pid/3438300/1/66 )
「小川町講武所」(pp.80-92)
・「会津白虎隊士の涙」星野達男著 北海道新聞社出版局 2004年
p.34~「四 謹慎生活、再興の下北、斗南藩での生活」
「東京の謹慎所は、音羽の護国寺、小川町の講武所(後略)」(p.34)
・「りんご侍と呼ばれた開拓者」森山祐吾著 中西出版 2018年
p.17〜「5 会津士族、北海道に渡る」
「東京の護国寺や増上寺に分散して謹慎中の会津士族の移住が正式に決まった。(中略)移住者は一先ず小樽に滞在させることにした。」(p.18)
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000345743